寝台特急の写真を見ていて、「機関車のうしろにいる、窓のない青い車両ってなんだ?」と思ったことはありませんか。あれがカニ24です。乗客は1人も乗れないのに、あの1両がいないとブルートレインは走れませんでした。
結論から言うと、カニ24は24系寝台客車の電源車。ディーゼルエンジンで発電して、後ろにつながる寝台車すべてに冷暖房と照明の電気を送っていた「走る発電所」です。国鉄時代に41両が新製され、あさかぜ・瀬戸・北斗星・トワイライトエクスプレスの先頭(正確には機関車の次)に立ち続けました。そして2016年4月8日、最後の2両が廃車されて形式そのものが消えています。
ただ、まだ終わりではありません。カニ24 511という1両が秋田県の小坂鉄道レールパークで動く状態のまま残っていて、宿泊列車の入換で今も自走に近い形で動いています。この記事では、カニ24の中身(エンジン・発電機・荷物室)から番台ごとの見分け方、消えていった経緯、そして実物に会いに行く方法までまとめて解説します。
✅ この記事でわかること
✓ カニ24が何をしていた車両なのか(発電機の中身まで)
✓ 0番台・100番台・500番台を写真で見分ける方法
✓ カニ24が形式消滅するまでの正確な日付
✓ 今も実物に会える場所と、行くときの注意点
カニ24とは?寝台特急の電気を1両でまるごと背負った車両

客室ゼロ・乗客ゼロ、それでも編成に必ずいた1両
カニ24は、24系寝台客車の電源を供給するための専用車両です。座席も寝台もなく、定員は0名。中身のほとんどはエンジンと発電機、そして荷物室です。
なぜこんな車両が必要だったのか。客車は電車と違って自分でモーターを回しません。走るための力は機関車から借りればいいのですが、冷房・暖房・照明・食堂車の調理器具といった「サービス電源」は別問題でした。機関車から十分な電気をもらえない以上、編成のどこかで自前で発電するしかない。その役目を1両にまとめて背負わせたのがカニ24です。
この方式を集中電源方式といいます。20系客車の解説では「編成の一端に連結された電源車により、編成内の冷暖房や食堂車調理設備等の電源の一切を供給する」と説明されていて、カニ24もまったく同じ考え方でつくられています。だから編成表を見ると、カニ24はいつも端。機関車のすぐうしろ、あるいは列車の最後尾に必ずいました。
乗る人にとってのコツを1つ。ブルートレインの写真を撮るとき、カニ24の位置さえ覚えておけば「この列車はどっち向きに走るのか」が一発でわかりました。電源ケーブルは客車側にしか伸びないので、カニ24の妻面が向いている方向が編成の端。今も保存車を見るときに使える見方です。
24系の電源車は発電装置が全自動制御になったため、乗務員が張り付く必要がなくなりました。20系の電源車にあった技術員室と技術員用の便所は、24系では廃止されています。人が乗らない「無人の発電所」が編成に1両つながっていた、というわけです。
「カ」と「ニ」の2文字が示す、47.5トン超の荷物車
カニ24という形式名は、実は車両の性格をそのまま書いた暗号です。国鉄の客車は「重量記号+用途記号+形式番号」で名前がつきます。
1文字目の「カ」は重量記号。ボギー客車の積車重量による区分で、コ(22.5トン未満)、ホ、ナ、オ、ス、マと重くなっていき、「カ」は47.5トン以上という最重量クラスを意味します。エンジンと発電機を2セットも積んでいるのだから当然で、小坂鉄道レールパークに残るカニ24 511は自重48.8tと記録されています。
2文字目の「ニ」は用途記号で荷物車。カニ24には荷物室があり、実際に新聞輸送などに使われていました。荷重は0番台で3t、100番台で5tです。つまりカニ24という名前は「47.5トンを超える重い荷物車」としか言っていません。発電機のことは一言も入っていないのです。
ちなみに「ヤ」は職用車(事業用車)を示す記号で、24系の電源車が最初に名乗ったのはこの「ヤ」でした。荷物室がついた瞬間に商売用の車両になったので、記号が「ニ」に変わったという流れです。
DMF31Z-G+DM95を2セット、三相交流440Vを全車へ
カニ24の心臓部は、インタークーラーターボ付きディーゼル機関DMF31Z-G形(430PS/1200rpm)と発電機DM95形(300kVA)を組み合わせた発電装置。これを1両に2基積んでいます。
なぜ2基なのか。片方が止まっても列車全体が暗闇と暑さに沈まないための冗長性です。真夏の九州や真冬の東北を10時間以上走る列車で、電源が落ちれば冷暖房も照明も全滅します。乗客の安全に直結する部分なので、最初から二重化されていました。
送り出す電気は三相交流60Hz・440V。これが編成を貫くケーブルで全車に送られ、各車の変圧器で単相100Vと三相200Vに変換されて使われます。寝台の読書灯も、廊下の蛍光灯も、食堂車の冷蔵庫も、すべて元をたどればカニ24のエンジンが回した電気でした。
音の話も付け加えておきます。ブルートレインが駅に停まっているとき、機関車ではなくカニ24のあたりから「ドロドロ」という低いディーゼル音が絶えず聞こえていました。JR東日本は後年、一部車両でエンジンをDMF15Z-G形、発電機をDM109形に換装する車体更新工事を行い、騒音対策も同時に実施しています。

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なぜ「カヤニ24」という形式名にならなかったのか
ここでよく出る疑問。電源車としての機能と荷物車としての機能、両方あるのに、なぜ「カヤニ24」のように記号を並べないのか。
答えは、国鉄の車両称号は運転上もっとも重要な意味を持つ符号を先に置くというルールで組み立てられているからです。用途記号は原則1つ。営業用のスペース(荷物室)を持つ以上、その車両は荷物車として扱われ、「ニ」が採用されました。発電機は装備であって用途区分ではない、という整理です。
この整理が実際に効いた例が、カニ24の兄貴分にあたるマヤ24形です。1973年の登場時は営業用スペースがまったくなかったため職用車の「ヤ」を名乗っていましたが、1974年に荷物積載スペースを設けた途端、全車がカヤ24形へ形式変更されました。記号は車両の「立場」を書いたラベルなのだ、と考えるとしっくりきます。
豆知識として覚えておくと、保存車の車体側面に書かれた形式名を見るだけで、その車両が何を積むためにいたのかが読めるようになります。博物館めぐりが一段と楽しくなる見方です。
0番台・100番台・500番台——3つの世代を1分で見分ける
0番台25両は18.5m・非貫通・荷物室3t
カニ24の最初のグループが0番台です。「あかつき」「彗星」の24系25形化にあわせて、1974年から1976年にかけて日本車輌製造・富士重工業・新潟鐵工所で25両(1〜25)が製造されました。
特徴は車体長18.5m、荷物室の荷重3t、そして後位妻面が非貫通であること。つまり車両の端が壁で塞がっていて、通り抜けできません。編成の一番端に置く前提なので、通路をつくる必要がなかったのです。台車はTR66B形。
見分けのポイントは車体長と妻面。写真で「なんとなく短くて、お尻がのっぺりしている」ように見えたら0番台です。1〜8には裾部にマイクロスカートが付いていましたが、後に撤去されています。2次車の9〜25は最初からマイクロスカートが省略されました。
0番台は品川・向日町・宮原に配置され、東京・関西〜九州方面と日本海縦貫線の寝台特急で使われました。「はやぶさ」「富士」「出雲」の写真に写っているカニ24は、たいていこのグループです。
100番台16両は19.5m・貫通扉つき・荷物室5t
100番台は「あさかぜ」「瀬戸」「安芸」の24系25形化で増備されたグループ。1977年と1980年に新潟鐵工所・富士重工業で16両(101〜116)が製造されました。
0番台との最大の違いは荷物室です。東京発着の荷物取扱量が増えたため荷重が5tに拡大され、その分だけ車体長が1m伸びて19.5mになりました。さらに後位妻面が非貫通から切妻型の貫通式に変わり、貫通扉が付いています。台車もTR66C形へ変更。
この「貫通扉があるかどうか」が、写真で番台を判別する一番わかりやすい手がかりです。妻面の中央に扉と手すりが見えたら100番台。のっぺりしていたら0番台、と覚えてください。
もう1つ実務的な違いとして、100番台は車両の両側への給電が可能な構造になりました。「あさかぜ」1・4号は原則的に100番台が充当され、下関配置車も全車が100番台。荷物輸送量の多い列車ほど100番台が回された、というのが配置の実態です。
500番台11両は金帯3本、北斗星のための耐寒耐雪車
500番台は新製車ではなく、既存の0番台・100番台を青函トンネル経由の寝台特急向けに改造したグループです。1987年から1990年にかけて11両(501〜511)が改造されました。
改造内容は各種機器類の保温強化、機関吸気装置への雪切り装置の設置など。北海道の粉雪をエンジンが吸い込まないようにするための装備です。外観では銀色2本帯から金色3本帯に変更されたのが最大の識別点で、この金帯が「北斗星」の顔になりました。
ただし例外もあります。510は銀帯のまま落成し、その後に正面の扉が埋められて非貫通化され、白帯化されました。改造の種車は1・2・5・8・19・20・21・22・24・113・115で、0番台と100番台が混在しています。
配置は尾久・品川・青森・札幌。「北斗星」「エルム」で使われましたが、510と511は緊急予備車という位置づけで、主に「あけぼの」「日本海」「出雲」「あさかぜ」に入っていました。金帯なのに北斗星以外の列車にいる写真があるのは、このためです。
【ガタンゴトン研究所調べ】歴代電源車スペック比較表
20系から24系、そしてJR以降まで、電源車のスペックを並べてみると発想の変化がはっきり見えます。数値は各形式の公表諸元と保存施設の記録を突き合わせたものです。
| 形式 | 両数 | 発電装置 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| マニ20形(20系) | 3両 | DMF31S-G+PAG1形2セット | 自重40.6t/最初期の電源車 |
| カニ21形(20系) | 29両 | DMF31S-G+PAG1形2セット | 荷物室つきの量産形 |
| カニ22形(20系) | 6両 | 上記+電動発電機 | 自重59t(満載時64t)/パンタ2基 |
| カヤ24形(24系) | 10両 | DMF31Z-G(430PS)+DM95(300kVA)×2 | 台車TR54C形/2003年形式消滅 |
| カニ24形0番台 | 25両 | DMF31Z-G(430PS)+DM95(300kVA)×2 | 18.5m/荷物室3t/非貫通 |
| カニ24形100番台 | 16両 | DMF31Z-G(430PS)+DM95(300kVA)×2 | 19.5m/荷物室5t/貫通扉つき |
| スハ25形300番台 | 改造車 | 静止型インバータ(三相交流440V) | パンタ2基/ラウンジ兼用 |
| カハフE26形(E26系) | 1両 | DM111交流発電機(440kVA×2) | 定員18名/ラウンジ兼用 |
並べてわかるのは、カニ24の世代(DMF31Z-G+DM95)が20年以上ほぼ変わらず使われ続けたこと、そして最後の世代であるスハ25形300番台とカハフE26形が「客室と発電機を同居させる」方向に舵を切ったことです。窓のない専用車を1両まるごと用意する贅沢は、24系で終わりました。
そもそも電源車はなぜ生まれた?20系から24系への回り道

20系のマニ20・カニ21・カニ22が最初の答え
電源車という発想は、1958年に登場した20系客車で始まりました。日本の客車で初めて全車冷房を実現した20系は、その電気をどうまかなうかという問題に正面から答える必要があったのです。
用意された電源車は3形式。マニ20形が3両、カニ21形が29両、カニ22形が6両で、いずれもDMF31S-G形ディーゼル機関とPAG1形交流発電機を2セット搭載していました。マニ20形の自重は40.6tです。
この時点ですでに「エンジン2セット」という設計思想が確立していて、24系のカニ24までそのまま受け継がれます。60年前の判断が、ブルートレインの最後まで生きていたことになります。
見に行くときのコツとして、20系の電源車は24系より車体が古典的で、屋根上のルーバーやラジエーターの造形が違います。保存車を並べて見比べると、同じ「発電する客車」でも世代差がはっきりわかります。
パンタグラフを載せたカニ22はなぜ数年で外されたのか
20系の電源車のなかで異彩を放つのがカニ22形です。車体の両端にPS18形パンタグラフを2基載せ、直流電化区間では架線から電気を取って電動発電機(MH100形電動機・DM64形発電機)を回す、という二刀流を採用しました。
狙いは燃料節約と騒音低減。架線があるところでは静かに、ないところではディーゼルで、という合理的な発想です。ところが結果は厳しいものでした。自重が59t、満載時には64tまで膨れ上がったのです。
重すぎる車両は線路への負担が大きく、入線できる区間も限られます。結局パンタグラフと電動発電機は数年で撤去され、カニ22はカニ21と同じディーゼル発電のみで運用されることになりました。
ここが面白いところで、この「パンタつき客車」というアイデアは死んだわけではありません。約30年後、静止型インバータという軽い機器が実用化されたことで、スハ25形300番台という形で復活します。技術が追いつくのを待っていた、という見方もできます。
14系の分散電源と北陸トンネル火災事故——集中電源への揺り戻し
20系の次に登場した14系客車は、電源車を廃止しました。編成端の緩急車の床下に小型のディーゼル発電セットを分散配置する方式(分散電源方式)に切り替えたのです。専用車1両を丸ごと使わずに済むので、編成の自由度が上がります。
しかし1972年の北陸トンネル火災事故で、旅客が乗る車両の床下に発電機を置く危険性が指摘されました。この結果、24系では電源車を用いる集中電源方式に戻すという判断が下されます。
もう1つ理由がありました。14系では床下に取り付けた電源装置の騒音が旅客に不評だったのです。寝る列車で足元からエンジン音が響けば、それは苦情になります。安全と静けさ、2つの理由がカニ24を生んだわけです。
だから24系に乗ると、エンジン音は編成の端に集中していました。静かに寝たい人は電源車から遠い号車を、逆にディーゼル音を聞きながら眠りたい人は電源車寄りを選ぶ——ブルートレイン時代の玄人はそういう選び方をしていました。
マヤ24がカヤ24に変わった0.5tの話
24系の最初の電源車はカニ24ではなく、1973年に登場したマヤ24形です。日本車輌製造・富士重工業・新潟鐵工所で10両(1〜10)が製造され、機関室にはDMF31Z-G形とDM95形の発電装置を2基搭載。台車はコイルばね式のTR54C形でした。
登場時は営業用スペースがまったくなく、職用車を意味する「ヤ」を名乗っていました。ところが1974年、新聞輸送のために高砂工場で業務用室に積載荷重0.5tの荷物積載スペースを設置。これで自重が変わり、全車がカヤ24形へ形式変更されました。
たった0.5tのスペースで形式名が変わる。国鉄の称号規程がどれだけ機械的に運用されていたかがよくわかるエピソードです。カヤ24形は末期にカニ24のような機関換装更新を受けないまま、2003年に全車廃車となって形式消滅しました。
この「新聞を運ぶ」という役割は、寝台特急の意外な一面です。夜通し走る列車は、朝刊を地方に届ける輸送手段としても機能していました。カニ24の荷物室が0番台で3t、100番台で5tと拡大していったのも、この需要があったからです。
先頭に立った列車たち——あさかぜから北斗星まで
あさかぜ・瀬戸・安芸を支えた100番台
東京発の寝台特急にとって、カニ24 100番台は必須の存在でした。「あさかぜ」1・4号は原則的に100番台が充当され、下関配置車も全車が100番台という徹底ぶりです。
理由は荷物輸送量。東京発着の列車は運ぶ新聞や荷物が多く、荷重3tの0番台では足りませんでした。実は「あさかぜ」が東京発着列車でもっとも遅くまで20系を使い続けたのも、荷物積載量の大きいカニ21形が必要だったからで、24系化は荷物室を広げた100番台の登場を待つ必要があったのです。
1982年11月のダイヤ改正では101・102・113〜116の6両が向日町から秋田へ転属し、新潟地区への荷物輸送を担う「出羽」や、増発された「あけぼの」1・6号が100番台の限定運用になりました。電源車の配置が、そのまま荷物輸送網の地図になっていたわけです。
この視点で当時の編成写真を見直すと面白いですよ。カニ24の妻面に貫通扉があるかどうかで、その列車がどれだけ荷物を運んでいたかが推測できます。
北斗星の顔になった金帯の500番台
1988年の青函トンネル開業とともに走り始めた「北斗星」で、カニ24 500番台は文字通り列車の顔になりました。金色3本帯をまとった車体は、それまでの銀帯ブルートレインとまったく違う高級感を打ち出しています。
500番台は尾久・品川・青森・札幌に配置され、「北斗星」と「エルム」で使用されました。北海道の冬を走るため、機器の保温強化と機関吸気装置への雪切り装置設置という実用的な改造も受けています。
興味深いのは501の運命です。マイクロスカートが残っていたこの車両は2008年に廃車となり、その後ミャンマー国鉄へ譲渡されました。日本の寝台特急の心臓が、東南アジアへ渡ったことになります。
撮影のコツを1つ。北斗星編成の写真を見分けるときは、金帯の本数を数えてください。3本なら500番台の可能性が高く、2本の銀帯なら0番台か100番台。510のように銀帯のまま落成した例外もあるので、そこは妻面の形とセットで判断します。

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緑に塗られたトワイライトエクスプレスの1両
大阪と札幌を結んだ「トワイライトエクスプレス」では、カニ24が青ではなく深い緑をまとっていました。専用色に塗り替えられた0番台の10・12〜14がその担当です。
なかでも12は1976年製。宮原に在籍して関西発の寝台特急で使われたあと、トワイライトエクスプレス専用の電源車として緑色主体の塗色に変更され、寝台特急「日本海」にも使われました。13は当初、銀帯のまま緑色になっていたという記録も残っています。
トワイライト色のJRマークは車掌室ドア横に貼り付けられていましたが、14だけは青色車と同じ荷物室ドア横に貼られていました。細部が1両ずつ違うのは、改造が手作業で進められた証拠です。
この4両は2016年4月時点でまだ宮原に在籍していましたが、同年7月までにすべて廃車されています。緑のカニ24が本線を走る姿は、もう見られません。
意外と知られていないのは、上野駅で最後尾に回されていた事実
ここが今回いちばんお伝えしたい話です。カニ24は「機関車のすぐうしろ」につながれるのが一般的なイメージですが、上野駅発着の列車では違いました。
1990年代前半から、上野駅発着の「北斗星」「出羽」「あけぼの」といった24系客車を使う特急列車では、上野駅での騒音対策のため電源車は上野向きの最後尾に連結されていたのです。上野駅の地平ホームは頭端式で、行き止まりの構造。ディーゼルエンジンを回しっぱなしの電源車を駅の奥に押し込むと、音がホームにこもって響きます。だから編成の反対側、線路の遠い方へ回していました。
この向きの都合で、青森・秋田へ転属した0番台の一部(1・2・3・4・5・8・19・20・21)には、尾久客車区と上野駅の間の推進回送運転用の整備(車掌室内へのブレーキ管引き込み、手動ワイパー取り付け)が施されています。カニ24の車掌室に手動ワイパーがついている個体があるのは、この推進運転のためです。
駅の構造が車両の改造内容まで決めていた、という具体例。編成の向きひとつにも理由がある、というのが鉄道のおもしろいところです。
🎯 保存車を見るときの裏ワザ
カニ24の車掌室まわりを覗いてみてください。手動ワイパーやブレーキ管の引き込みが残っていれば、その車両は上野〜尾久の推進回送に使われていた個体です。500番台への改造では、この推進回送用の整備を受けた車両が優先的に充てられました。つまり「手動ワイパーがある=上野口で働いた履歴がある」と読めます。
なぜ消えたのか——2014年から2016年に起きたこと
2014年3月14日、あけぼのの定期運行が終わる
カニ24の終わりは、寝台特急そのものの終わりと重なります。最初のドミノは「あけぼの」でした。
上野〜青森を1日1往復、約12時間30分かけて結んでいた「あけぼの」は、2014年3月14日発の列車をもって上下とも定期列車としての運行を終了しました。使用車両は青森車両センターの24系。臨時列車としては2015年1月3日発の上り、1月4日発の下りが最後の設定となっています。
この時点で100番台の運用が大きく減りました。2015年4月時点で青森に残っていた100番台は102・109・112・116の4両だけで、同年11月までにすべて廃車されています。
「まだ臨時があるから大丈夫」と思っているうちに、車両は静かに数を減らしていました。乗るなら定期運行のあるうちに、というのは寝台列車を追いかける人の鉄則です。
2015年、トワイライトと北斗星が相次いで終幕
2015年3月14日のダイヤ改正で「トワイライトエクスプレス」と「北斗星」が定期運行を終了しました。「北斗星」は3月13日発の列車が最後の定期列車です。1988年3月13日の運行開始から、ちょうど27年でした。
「北斗星」はその後、4月2日から臨時の寝台特急として運転され、2015年8月22日発の列車で営業運転を終了します。下りは21日16:20に上野を発って22日11:15に札幌着、上りは22日16:12に札幌を発って23日9:25に上野着というダイヤでした。
500番台の廃車もこの流れで進みます。2015年4月時点で6両が在籍していましたが、同年のうちに502・506・508・511が廃車されました。511が小坂鉄道レールパークへ渡ったのは、このタイミングです。
失われるスピードは想像以上に速い、というのがこの2年の教訓です。定期運行終了から形式消滅まで、わずか1年ほどしかありませんでした。
2016年4月8日、形式消滅の日
カニ24形500番台の最後の2両、505と507が廃車されたのが2016年4月8日。これで500番台は全廃となりました。トワイライトエクスプレス用の0番台4両(10・12〜14)も、同年7月までにすべて廃車されています。
製造両数は0番台25両と100番台16両の合計41両。1974年から数えて42年で、カニ24という形式は書類の上から消えました。
形式消滅とは、その形式に属する車両が1両も在籍しなくなることを指します。廃車後に保存された車両は「在籍」しないので、書類上は消滅していても実物は残っている、という状態が起こります。カニ24 511がまさにそれです。
だから「カニ24はもう存在しない」という説明は半分正しく、半分間違い。JRの車籍からは消えたけれど、鉄になった実物は秋田で今も動いています。

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電源車という車種そのものの終わり
カニ24が消えたあとも、電源車の系譜はしばらく続きました。まず1990年に登場したスハ25形300番台。12系客車を改造したラウンジカーで、静止型インバータで三相交流440Vをつくり、パンタグラフ2基で架線から集電するという構成です。カニ22以来のパンタつき客車がここで復活しました。
次がE26系「カシオペア」のカハフE26形。12号車に連結された1両で、DM111交流発電機(440kVA×2)を積みながら、ハイデッカー構造のラウンジ室(定員18名)を備えていました。「展望ラウンジが実は発電所だった」というのは、この車両を語るときの定番の話です。
そして忘れてはいけないのがカヤ27形。カニ24 113がカニ24 510になり、2000年2月にカヤ27-501へ再改造された車両で、カハフE26形の故障や点検時に代わりに連結される予備電源車でした。カニ24の血を引く1両が、平成の豪華寝台列車を陰で支えていたのです。
そのE26系も、2025年6月30日をもって営業運転を終了しました。車両の老朽化と牽引する機関車の減少が理由です。6月28日は上野発仙台行きの夜行、6月30日は仙台発上野行きの昼行として運転されました。これで、日本の定期・臨時列車から「客車の電源車」という車種は事実上その役目を終えています。
📝 カニ24をめぐる日付まとめ
- 1974年:カニ24形0番台の製造開始(〜1976年、25両)
- 1977年・1980年:100番台16両を製造
- 1987〜1990年:500番台11両へ改造(金帯化)
- 2014年3月14日:「あけぼの」定期運行終了
- 2015年3月13日:「北斗星」定期運行終了/8月22日に営業運転終了
- 2016年4月8日:505・507廃車でカニ24形が形式消滅
- 2025年6月30日:E26系「カシオペア」営業運転終了
カニ24に会える場所——秋田・小坂で動き続ける511号車
小坂鉄道レールパークなら、動く電源車に近づける
実物のカニ24に会いたいなら、行き先は秋田県小坂町です。廃線となった旧小坂鉄道の線路と設備を活用した小坂鉄道レールパークに、カニ24 511が動く状態で保存されています。
入園料は大人(高校生以上)600円、小人(小・中学生)300円。幼児は保護者同伴で無料です。営業時間は9:00〜17:00(最終入場16:30)。レールバイク(大人500円)やディーゼル機関車の運転体験もあり、電源車だけを見に行くには惜しいくらいの内容です。
カニ24 511は、オハネフ24 12+スロネ24 551+オハネ24 555+カニ24 511という4両編成の一員として保存されています。この編成が「ブルートレインあけぼの」という宿泊施設になっていて、宿泊営業日にはホームと車両展示場の間で編成を動かすときに511が使われます。
| 住所 | 〒017-0202 秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字古川20-9 |
| 電話番号 | 0186-25-8890 |
| 営業時間 | 9:00〜17:00(最終入場16:30)/営業期間4月1日〜11月23日 |
| 定休日 | 毎週水曜日(水曜日が祝日の場合、翌木曜日) |
| アクセス | 秋北バス「小坂小学校前」停留所から徒歩約2分 |
| 公式サイト | 公式サイト |
行くなら乗物体験の時間も押さえておきましょう。レールバイクと観光トロッコの営業時間は10:00〜12:00と13:00〜16:00(最終乗車15:45)。観光トロッコは大人300円、小人150円です。
511号車の素性——元カニ24 115、1990年の耐寒耐雪改造
保存されている511は、由緒のはっきりした1両です。公式の解説によれば、1980年に富士重工業株式会社で「あさかぜ」「瀬戸」「安芸」の24系25形化にあわせて製造されたカニ24 115が原型。つまり車体長19.5mの100番台生まれです。
1990年に、上野〜札幌間直通の寝台特急「北斗星」に使用するため耐寒・耐雪改造が行われ、カニ24 511になりました。自重は48.8t。金帯をまとった姿で、緊急予備車として「あけぼの」「日本海」「出雲」「あさかぜ」などに入っていた履歴があります。
見学のポイントは妻面です。100番台生まれなので貫通扉があり、0番台とは表情が違います。金帯3本と貫通扉の組み合わせが見られるのは、現存車では貴重な取り合わせです。
もう1つ、荷物室の扉にも注目してください。100番台は荷重5tの荷物室を持ち、そのために車体が1m長い。実物の前に立つと、この1mが思った以上に大きく感じられます。
ブルートレインあけぼのに泊まるという選択肢
小坂鉄道レールパークの目玉は、本物の寝台車に泊まれることです。料金はA寝台個室が2名利用で15,000円、1名利用で13,000円。B寝台個室は上段6,600円、下段6,300円(いずれも税込)。
B寝台の上段と下段で300円しか違わないのは、寝台料金の伝統的な考え方が残っているからです。現役時代も上段は天井が近く、下段は窓から景色が見られる分だけ人気がありました。その差が価格に出ています。
宿泊は季節営業で、営業を始める日と予約受付の開始日は年度ごとに公式サイトで告知されます。公式の空室状況ページで日付ごとの空きが確認できるので、日程が決まったら早めに押さえるのが正解です。
そして宿泊日には、カニ24 511が編成を動かすために稼働します。「泊まる」と「電源車が動くところを見る」がセットになる、ほかにない体験です。
⚠️ 失敗パターン①:営業期間を確認せずに行ってしまう
小坂鉄道レールパークの営業期間は4月1日〜11月23日で、冬季は営業していません。さらに毎週水曜日は休園日(水曜日が祝日の場合は翌木曜日)です。冬の東北旅行のついでに寄ろうとして門前払い、という失敗が起こりやすいので注意してください。レールバイクは土曜・日曜・祝日のみの運行、観光トロッコは毎週火曜日が運行休止です。訪問前に公式の営業時間・料金ページと営業カレンダーを確認しましょう。
京都でトワイライトの緑に会えた日は、もう終わっている
12号車の展示は2023年6月27日で終了した
「カニ24なら京都鉄道博物館で見られるはず」と思っている人は、情報を更新してください。トワイライトエクスプレス専用色のカニ24形12号車は、2023年6月27日をもって展示を終了しています。
この車両は1976年製で、宮原に在籍して関西発の寝台特急に使われたあと、トワイライトエクスプレス用に緑色主体の塗色へ変更され、「日本海」にも使用されました。2016年4月に廃車となり、その後は京都鉄道博物館の本館1階「車両のしくみ/車両工場」エリアを中心に展示されていました。
2023年5月25日から6月13日まではマイテ49形2号車と並べて展示され、6月15日から6月27日まではカニ24形12号車のみの展示。最終盤には車内を4分間独占できる特別な車内公開も開催されました。
| 住所 | 京都市下京区観喜寺町 |
| 営業時間 | 10:00〜17:00(入館は16:30まで) |
| 定休日 | 毎週水曜日(祝日・学休期間は開館)、年末年始(12/30〜1/1) |
| アクセス | 嵯峨野線「梅小路京都西駅」から徒歩約2分 |
| 駐車場 | なし |
| 公式サイト | 公式サイト |
京都鉄道博物館そのものは今も通常営業しており、入館料は一般1,500円、大学生・高校生1,300円、中学生・小学生500円、幼児(3歳以上)200円。開館時間は10:00〜17:00(入館は16:30まで)です。ただし、カニ24形12号車を目当てに行くのは避けたほうがいいでしょう。
展示終了の理由は「入換ができなくなったこと」
公式のニュースリリースは理由をはっきり書いています。「車体の老朽化や部品類の経年劣化に伴い、現行の展示方法で必要になる構内の入換作業等が難しくなってきたため」です。
博物館の展示車両は飾り物ではなく、レイアウト変更や整備のたびに構内で動かす必要があります。カニ24形12号車は本館1階のエリアと屋外の留置線を行き来する形で展示されていたため、車体が傷むと展示計画そのものが成り立たなくなります。
展示終了後も当面の間は留置線で見学できるとされましたが、これは恒久的な保証ではありません。保存車は「今そこにある」ことが当たり前ではない、という現実がよく表れた例です。
実用的な教訓としては、保存車を目当てに遠出するなら、出発前に施設の公式サイトで展示車両の一覧を確認すること。数年前の旅行ブログや動画を根拠にすると、こういうすれ違いが起きます。
「京都鉄道博物館でトワイライトの電源車が見られる」と書かれた記事は、2023年6月より前のものです。展示終了はすでに3年前の出来事。施設の展示内容は入れ替わるので、公式のご利用案内と展示車両ページを見てから予定を組んでください。同じ失敗は、閉園した保存鉄道や撤去された保存機でも頻繁に起きています。
シーン別・電源車の追いかけ方
目的によって行き先は変わります。整理しておきましょう。
実物に触れる距離まで近づきたい人は小坂鉄道レールパーク一択です。カニ24 511が屋外で保存され、宿泊すれば同じ編成で夜を過ごせます。動く電源車を見られる可能性があるのは、宿泊営業日です。
写真をきれいに撮りたい人も小坂が有利ですが、平日はレールバイクが運行休止で構内の雰囲気が変わります。編成写真を狙うなら土曜・日曜・祝日、人の少ない時間帯を選ぶと落ち着いて撮れます。
子連れで鉄道を楽しみたい人には京都鉄道博物館が向いています。カニ24形12号車には会えませんが、幼児(3歳以上)200円という料金設定で、蒸気機関車から新幹線まで幅広く見られます。梅小路京都西駅から徒歩約2分というアクセスの良さも、小さな子ども連れには効きます。
まとめ:カニ24が教えてくれること
カニ24を追いかけると、鉄道が「快適さ」をどう実現してきたかの歴史が見えてきます。20系で電源車が生まれ、14系でいったん分散させ、火災事故を経て24系で集中電源に戻り、最後はスハ25形300番台やカハフE26形のように客室と発電機を同居させる方向へ進んだ。窓のない1両を編成に加えるという贅沢は、乗客が眠っている間も冷房と照明を止めないための投資でした。最初の一歩としておすすめしたいのは、小坂鉄道レールパークの公式サイトで営業カレンダーを開いてみることです。訪問できる日は4月1日から11月23日までの、水曜日以外の日に限られます。
※料金・営業時間・展示内容は変更される場合があります。おでかけ前に各施設の公式サイトで最新情報をご確認ください。

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