「キハ20って結局なんの車両?」「もう乗れないの?」と検索してここにたどり着いた方、結論から言います。キハ20は国鉄が1957年から1966年にかけて系列合計1,126両つくった一般形気動車で、JR線での定期運用はとっくに終わり、私鉄でも2025年6月15日のいすみ鉄道キハ52 125の営業運転終了で系列としての幕が下りました。
ただし「もう会えない」わけではありません。岡山・茨城・栃木・静岡の4か所に現存していて、そのうち2か所は今も自分の足で走ります。しかも千葉には、キハ20をベースに設計された私鉄版が普通運賃だけで乗れる路線として残っています。この記事では、形式の中身から見分け方、そして「どこへ行けばいくらで会えるのか」までまとめて整理しました。
✅ この記事でわかること
✓ キハ20系1,126両の内訳と、キハ21・22・25・52の違い
✓ 「バス窓」など初期型と後期型の見分け方
✓ 定期運用が終わった日と、その理由
✓ 今もキハ20に会える4か所の料金・開催日・行き方
そもそもキハ20って何者?国鉄が9年で1,126両つくった理由

1957年デビュー、1966年までに1,126両という異例の量産
キハ20系は、国鉄が1957年(昭和32年)に登場させた「一般形気動車」です。1966年までに系列合計1,126両が製造され、北海道から九州まで全国のローカル線に行き渡りました。1形式ではなく、同じ設計思想でつくられた形式グループの総称なので、正確には「キハ20系」と呼びます。
なぜここまで大量につくられたのか。当時の国鉄には、電化されていないローカル線が全国に大量にありました。蒸気機関車が客車を引っぱる列車は、始発駅で機関車を付け替える手間がかかり、本数を増やしにくい。そこを「自分でエンジンを積んだ客車」に置き換えれば、折り返しも増発も簡単になります。つまりキハ20系は、地方路線のダイヤを一気に使いやすくするための量産兵器だったわけです。
1,126両という数字は、1形式グループとしては国鉄気動車のなかでも突出しています。だからこそ「昭和のローカル線の風景」と言われて多くの人が思い浮かべる顔が、このキハ20系なんですね。
「キハ」の2文字にちゃんと意味がある
「キハ」は愛称ではなく、国鉄の形式記号です。最初の「キ」が気動車(ディーゼルで走る車両)、次の「ハ」が普通車を意味します。だから「キハ20」は「20番台の気動車の普通車」という読み方になります。
この法則がわかると、キハ20系のなかの変わり種もすぐ読めます。たとえば「キハユニ26形」は、キ(気動車)+ハ(普通車)+ユ(郵便)+ニ(荷物)で、1両のなかに客室と郵便室と荷物室が同居した車両です。59両つくられました。同じ発想の「キハユニ25形」は7両だけの少数派です。
駅で車体の隅っこに書かれた形式番号を見つけたら、頭2文字を読むだけでその車両の素性がわかる。鉄道の車両記号は、慣れると駅の待ち時間がちょっと楽しくなる知識です。

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心臓部はDMH17系ディーゼル。180馬力で20mの車体を動かした
キハ20系のエンジンは、国鉄気動車の標準だったDMH17系の縦形ディーゼルです。初期の車両はDMH17B(160PS/1,500rpm)を積んでいましたが、1958年のキハ20形200番台からは燃料噴射ポンプのプランジャ径を大きくしたDMH17C(180PS/1,500rpm)に切り替わりました。
180馬力と聞くと、乗用車1台ぶん程度の出力で車体長19.5mの鉄道車両を動かしていたことになります。加速はゆっくりで、坂道では明らかに苦しい。その「うなりながらじわじわ加速する音」こそがDMH17系の個性で、引退のたびにファンが集まる理由になっています。
変速機は液体式(TC-2やDF115系)です。クラッチ操作なしで運転できるので、1人乗務のローカル線と相性がよく、後年のワンマン運転にもつながっていきました。

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前任のキハ17系から何が変わった?「座り心地」が別物になった
キハ20系の一番の進化は、乗り心地です。前任のキハ17系は軽量化を優先した結果、車体が小ぶりで室内が窮屈でした。キハ20系はその反省から車体を大きくし、装備も改善しています。
具体的には、窓の上下にあった補強の桟(がり)をなくして車内を明るくし、座席を電車や客車と同じモケット張りにしました。それまでの気動車は「ローカル線用の格下車両」という扱いでしたが、キハ20系から「普通の列車と同じ座り心地」に追いついたわけです。
台車も世代で違います。初期車はウイングバネ式のDT19C+TR49A、増備車はコイルバネにオイルダンパを組み合わせたDT22A/C+TR51A/Cを履きました。1958年にキハ55系で両者を比べる試験が行われ、DT22系のほうが乗り心地がよいと判明したため、DT19系だった初期車の一部は後からDT22・TR51へ振り替えられています。
台車を履き替えた初期車は、外見が0番台のままなのに足回りだけ後期仕様、という状態になりました。保存車を見るときは車体だけでなく足元も見ると、その車両がたどった履歴が読めます。
1,126両の内訳がすごい|キハ21・22・25・52は何が違うのか
形式別の製造両数を一覧にするとこうなる
「キハ20系」と一口に言っても中身は7形式に分かれます。数字で並べると性格の違いがはっきりします。
| 形式 | 製造両数 | 製造期間 | 性格 |
|---|---|---|---|
| キハ20形 | 409両 | 1957〜1965年 | 暖地向けの主力 |
| キハ22形 | 313両 | 1958〜1965年 | 酷寒地向け・デッキ付き |
| キハ25形 | 142両 | 1957〜1963年 | 暖地向け |
| キハ52形 | 112両 | 1958〜1966年 | 勾配線区向け・2エンジン |
| キハ21形 | 84両 | 1957年 | 寒地向け・二重窓 |
| キハユニ26形 | 59両 | 1958〜1963年 | 郵便・荷物合造 |
| キハユニ25形 | 7両 | 1957〜1962年 | 郵便・荷物合造(少数) |
※ガタンゴトン研究所調べ。両数は国鉄時代の製造実績にもとづく数値です。
キハ20形(409両)は暖地向けの主力メンバー
系列の看板であるキハ20形は409両。1957年から1965年まで9年間つくり続けられました。暖地向けの標準仕様で、暖房は標準的な装置、窓も特別な断熱構造ではありません。関東・東海・関西・中国・四国・九州のローカル線で当たり前のように走っていた顔です。
同じ暖地向けにはキハ25形142両とキハユニ26形59両があります。この3形式で610両、系列全体の半分以上を占めます。要するにキハ20系は、まず「暖かい地域の非電化ローカル線を一掃する」ことを最優先に設計・量産された系列なんですね。
実際にキハ20形が走った線区は数えきれませんが、後で紹介する保存車の履歴を見ると、和歌山機関区から奈良機関区を経て水戸機関区へ、といった具合に全国を渡り歩いた個体もあります。同じ形式が全国どこでも通用したからこそ、こういう長距離の転属が成立しました。
キハ22形(313両)は北海道仕様。デッキ付き・二重窓・床は木張り
313両つくられたキハ22形は、酷寒地向けの特別仕様です。ここは数字より「装備の思想」を見るとおもしろい。まず出入口にデッキを設けて、ドアが開くたびに客室へ冷気が流れ込むのを防ぎました。窓は一段上昇式の小型二重窓で、開口部そのものを小さくしています。
床は木張りにして断熱を強化し、暖房は温水暖房+大型放熱フィン。さらに、客室の窓の位置が標準車より5cmほど高い位置に付いています。これは雪が窓下まで積もる地域で、外がきちんと見えるようにするための配慮です。
寒地向けにはもう1形式、キハ21形(84両)があります。こちらは二重窓とデフロスタを備えた仕様で、1957年に集中的につくられました。後に温気暖房から温水暖房へ改造されています。キハ21形とキハ22形を比べると、寒さ対策を「窓と暖房」だけで済ませるか、「車体構造から」やり直すかの差がわかります。
キハ52形(112両)は2エンジンの山岳仕様。車体も1.3m長い
キハ52形は勾配線区向けの2エンジン車で、112両が1958年から1966年までつくられました。1基180馬力のエンジンを2基積むことで、峠越えのある路線でも実用的な速度を保てるようにした形式です。
エンジンを2基積むぶん床下が混み合うので、車体は全長21.3mと標準車より1.3m長くなっています。初期型(0番台)は垂直シリンダー形のDMH17C、後期型(100番台)からは横形のDMH17Hに変わりました。
この形式が有名なのは、系列で最後まで生き残ったからです。JR西日本の大糸線で2010年3月まで定期運用に就き、その後いすみ鉄道へ渡って観光列車として走り続けました。「キハ20系のラストを飾った形式」と言えば、それはキハ52形のことです。
⚠️ よくある誤解:「キハ20系=キハ20形」ではない
「キハ20が1,126両つくられた」という表現をよく見かけますが、1,126両は系列7形式の合計です。キハ20形単体は409両。資料や模型の説明で数字が食い違って見えるときは、たいてい「系列の合計」と「形式単体」を混同しています。
「バス窓」って何?初期型と後期型を見分ける3つのポイント

0番台(1〜103)はバス窓+白熱灯の最初期グループ
キハ20形の車番1〜103は0番台と呼ばれる最初期グループです。見分けの決め手は窓。上段がHゴムで固定され、下段だけが上昇する2段構造で、これが当時の路線バスの窓とそっくりだったことから「バス窓」と呼ばれます。
なぜこの構造だったのか。上段を固定にすると、開閉機構が片側だけで済むので構造が簡単になり、製造コストと重量を抑えられます。ただし換気は下段だけに頼ることになり、非冷房時代の夏は不利でした。
車内照明も0番台は白熱灯です。今の感覚だとかなり暗い、オレンジがかった灯り。保存車の車内公開に行くと、この照明の色でだいたい年代の見当がつきます。
200番台(201〜484)で2段上昇式窓+蛍光灯にモデルチェンジ
1958年からの200番台(201〜484)は、キハ20形の中で最も両数が多いグループです。ここでバス窓をやめ、上段も下段も動く2段上昇式窓に変わりました。同時に照明が白熱灯から蛍光灯になり、車内の印象が一気に明るくなります。
細かいところでは、車体の部材がプレス品から市販の形鋼へ変更され、屋根上の排気管キセ(カバー)も小型化されました。どれも量産効率とコストのための変更ですが、結果として「顔つき」が微妙に変わっています。
エンジンも、この200番台からDMH17C(180PS)が標準になりました。つまり200番台は、窓・照明・エンジンの3点が同時に更新された節目の番台です。写真で年代を推定するときは、まず窓の上段が動くかどうかを見るのが早道です。
500番台(501〜522)は温水暖房。ラストナンバーはあの保存車
500番台(501〜522)は22両だけの最終グループで、蛍光灯に加えて温水暖房を備えています。暖地向けでありながら暖房を強化した仕様で、製造は1965年ごろまで続きました。
そしてこのグループの末尾、キハ20 522がキハ20形のラストナンバーです。1964年に帝国車輛で製造されたこの1両は、国鉄からJR西日本、水島臨海鉄道を経て、1996年に茨城の湊線(現・ひたちなか海浜鉄道)へ入線し、キハ205と名を変えて2024年まで走り続けました。系列の最終番号が最後まで営業に立っていた、というのは偶然にしてはできすぎた話です。
🔵 0番台の見分け方
上段固定の「バス窓」/白熱灯/台車はDT19C+TR49A(一部は後年DT22へ振替)
🟠 200番台以降の見分け方
上下とも動く2段上昇式窓/蛍光灯/DMH17C(180PS)/台車はDT22A・Cなど
定期運用はいつ終わった?国鉄からいすみ鉄道までの「最後の日」年表
JR各社では1990年代前半に姿を消した
JR線からのキハ20系の撤退は早く、1990年代前半にほぼ終わっています。JR九州は1990年に全形式が運用を終了、JR東日本のキハ20形は1993年、JR北海道のキハ22形は1995年3月で定期運用を終えました。
理由はシンプルで、非冷房・液体式変速機の旧式車をJR発足後の新型気動車に置き換える動きが一斉に進んだためです。1980年代後半以降、各社はキハ100形やキハ110系といった軽量・高出力の後継車を投入し、DMH17系の車両は整備の手間と燃費の面で分が悪くなりました。
この時期に廃車になった車両の多くが、地方私鉄や第三セクターへ譲渡されています。譲渡先は津軽鉄道、秋田内陸縦貫鉄道、島原鉄道、鹿島臨海鉄道、水島臨海鉄道、下北交通(キハ22形3両をキハ85形として使用)など。JRで役目を終えたあと、10年、20年と第二の人生を送った個体が少なくありませんでした。
本線最後の砦だったキハ52形(JR西日本 大糸線・2010年3月)
キハ20系のJR線での最後は、JR西日本の大糸線で走っていたキハ52形です。2010年3月をもって定期運用を終了しました。JR東日本のキハ52形はそれより早く2007年11月に終わっているので、最終的にはJR西日本が系列を看取った形になります。
大糸線でキハ52形が長く残った理由は、路線の性格そのものにあります。南小谷以北の非電化区間は勾配とトンネルが続き、2エンジン車の粘りが必要でした。加えて豪雪地帯で運転本数が少なく、新型車を大量投入する優先度が低かったことも重なります。
2010年の引退時、大糸線のキハ52形3両はそれぞれ違う道をたどりました。そのうちの1両、キハ52 125がいすみ鉄道へ譲渡され、2011年から観光列車として房総半島を走ることになります。
2025年6月15日、いすみ鉄道キハ52 125が営業運転を終了
系列としての本当の終着点は2025年6月15日です。この日、いすみ鉄道の大多喜駅で「ありがとうキハ52-125 営業運転終了記念イベント」が開かれ、ファンを乗せて構内を走行して営業に幕を下ろしました。
引退の背景には複数の事情が重なっています。車両は1965年製で、部品の調達が難しくなっていたこと、大規模検査の時期を迎えて費用が高額になること、そして2024年10月の脱線事故以降いすみ鉄道が全線運休となっていたこと。結果として、検査を通して復帰させる判断にはなりませんでした。
いすみ鉄道はこのとき引退記念切符セットを発売しています。第二弾は1セット2,000円(税込)で、上総中野〜大原間乗車券730円、大原〜大多喜間乗車券550円、大多喜〜大原間乗車券550円、大多喜駅普通入場券170円に専用台紙が付く構成でした(いすみ鉄道公式サイト)。
キハ20形としての最後は2024年10月・ひたちなか海浜鉄道
キハ52形ではなく「キハ20形」に絞ると、最後の営業車はひたちなか海浜鉄道のキハ205(元キハ20 522)で、2024年10月に引退しました。JR東日本から譲り受けたキハ100形3両が投入され、置き換えられた形です。
ここが少しややこしいのですが、「キハ20系の営業運転が終わった日」と「キハ20形の営業運転が終わった日」は別物です。前者は2025年6月15日(いすみ鉄道キハ52 125)、後者は2024年10月(ひたちなか海浜鉄道キハ205)。ネット上で終了年が食い違って見えるのは、たいていこの2つを混同しているためです。
JR西日本 大糸線のキハ52形が定期運用終了(JR線から系列が消滅)
ひたちなか海浜鉄道キハ205が引退(キハ20形として最後の営業車)
いすみ鉄道キハ52 125が営業運転終了(系列の営業に幕)

「415系ってまだ走ってるの?」——検索してここにたどり着いた方は、たぶんそこが一番知りたいところだと思います。結論から言うと、2026年8月現在も走っています…
キハ20に今も会える4か所|料金と行き方を全部調べました
①水島臨海鉄道 キハ205(岡山県倉敷市)— 800円で乗れる動態保存
「キハ20に乗りたい」なら、まず候補に挙がるのが岡山県倉敷市の水島臨海鉄道です。同社は1986年から1991年にかけて国鉄・JR西日本・JR四国からキハ20系12両を譲り受け、そのうちのキハ205が今も自走できる状態で残っています。
いったん2017年3月までに引退したものの解体されず、2021年8月16日から10月14日にかけて目標1,300万円のクラウドファンディングが実施されました。集まった資金で整備と塗装が行われ、2022年3月に国鉄標準色へ復活。現在は構内限定で走行しています。
公式告知によると、乗車できるのは4月から9月の第1日曜(5月は第2週)。2026年は4月5日・5月10日・6月7日・7月5日・8月2日・9月6日が該当日です。倉敷市駅で「1日フリーきっぷ」大人800円・小人400円を各日先着100枚販売する形で、払い戻しはできません。かつての行先票(サボ)を取り付ける予定もあります。ただし車両の状態によって運転日・車両は予告なく変更される場合があるので、出発前に水島臨海鉄道の公式告知を確認してから動くのが安全です。
| 所在地 | 岡山県倉敷市(JR倉敷駅の南側に隣接) |
| 路線 | 水島臨海鉄道 水島本線 |
| 公式サイト | 水島臨海鉄道株式会社 |
②ひたちなか海浜鉄道 キハ205(茨城県ひたちなか市)— 引退後も見学ツアーの主役
キハ20形のラストナンバー、キハ20 522として1964年に帝国車輛で製造された1両が、茨城のキハ205です。国鉄からJR西日本、水島臨海鉄道を経て1996年に湊線へ入り、2024年10月の引退まで営業に立ち続けました。
引退後も解体されていません。2025年2月には「引退した国鉄車両キハ205等の撮影見学、運転台乗車体験&ドア開閉体験ツアー」が実施され、運転台に座ったりドアの開閉を体験したりできる企画になっていました。こうしたツアーは不定期開催なので、ひたちなか海浜鉄道の車両情報ページや公式ブログをこまめに見ておくと取り逃しません。
湊線そのものは勝田〜阿字ヶ浦14.3kmの路線です。1日フリー切符は大人1,000円・小児500円で、乗車当日販売のみ(前売りなし)。勝田駅・那珂湊駅の窓口と各駅券売機で買えます。国営ひたち海浜公園と組み合わせて1日で回れる距離感なので、家族連れでも動きやすいのが利点です。
| 所在地 | 茨城県ひたちなか市(車両基地に隣接する湊線の中核駅) |
| 路線 | ひたちなか海浜鉄道 湊線(勝田〜阿字ヶ浦 14.3km) |
| 公式サイト | ひたちなか海浜鉄道 車両情報 |
③SLキューロク館 キハ20 247(栃木県真岡市)— 入館無料、2024年に自走復活
栃木県真岡市のSLキューロク館にいるキハ20 247は、1959年に東急車輛で製造された車両です。新製配置は和歌山機関区、その後奈良機関区を経て水戸機関区へ移り、晩年は真岡線で走りました。1986年の第三セクター転換で廃車となり、真岡駅構内に留置されていた個体です。
この車両、2024年に動態復元されたのが大きな話題になりました。2024年11月24日には「キハ20タイムスリップ乗車体験」が開催され、9:30/10:30/11:30/13:30/14:30の5回、構内3往復・約25分のコースで走っています。料金は客室乗車が大人1人1,000円、乗務員室体験が大人1人5,000円で、いずれも小学生以下2名まで添乗できました。瓶飲料は1本200円(真岡線乗車券の提示で1本プレゼント)という設定です。
SLキューロク館そのものは入館無料で、屋外にキハ20 247が展示されています。走行イベントがない日でも外観は見られるので、真岡鐵道のSLと合わせて訪ねる価値があります。開催情報は真岡鐵道の公式サイトで告知されます。
| 所在地 | 栃木県真岡市台町2474-6 |
| 路線 | 真岡鐵道 真岡線 真岡駅に隣接 |
| 公式サイト | 真岡鐵道株式会社 |
④天竜浜名湖鉄道 天竜二俣駅 キハ20 443(静岡県浜松市)— 転車台ツアーで会える
静岡県浜松市の天竜二俣駅構内には、キハ20 443が露天保存されています。1962年に日本車輌で製造され、新製配置は遠江二俣機関区。国鉄二俣線ひとすじで走り、1987年の天竜浜名湖鉄道への転換に合わせて廃車になった、生涯この土地を離れなかった1両です。
この駅の名物が「転車台&鉄道歴史館見学ツアー」です。転車台は1940年の国鉄二俣線開業時から使われている設備で、国の登録有形文化財に登録されています。扇形車庫と一体で現役のまま残っている例は全国でもわずかです。
ツアーは予約不要。開催は土休日が10:50と13:50、平日は13:50の回です。料金は大人350円・小人100円で、天浜線を利用して訪れた場合は大人250円・小人100円に割引されます。時間や料金は変更されることがあるので、天竜浜名湖鉄道の公式ページか営業課(053-925-2276/9:00〜17:00)で確認してから向かうと確実です。
| 場所 | 車両 | 自走 | 目安の費用 |
|---|---|---|---|
| 水島臨海鉄道(岡山) | キハ205 | ◯(構内) | 1日フリーきっぷ800円 |
| ひたちなか海浜鉄道(茨城) | キハ205 | —(保存) | 1日フリー切符1,000円+ツアー実費 |
| SLキューロク館(栃木) | キハ20 247 | ◯(構内) | 入館無料(乗車体験1,000円〜) |
| 天竜二俣駅(静岡) | キハ20 443 | —(保存) | ツアー大人350円(天浜線利用250円) |
実は今でも普通に乗れる「キハ20の兄弟」がいる|小湊鐵道キハ200形
国鉄キハ20系をベースに、私鉄が独自設計した14両
ここまで読んで「イベント日を狙わないと乗れないのか」と思った方に、いい知らせがあります。千葉県の小湊鐵道には、キハ20系を基本に設計されたキハ200形が今も現役でいます。しかも普通運賃だけで乗れます。
キハ200形は1961年(昭和36年)から1977年(昭和52年)まで、16年にわたって日本車輌で14両(キハ201〜214)が新造されました。国鉄キハ20系を土台にしつつ、独自の要素を盛り込んだ設計です。1977年まで新車がつくられ続けたというのは、国鉄のキハ20系が1966年で製造を終えていることを考えると異例の長さです。
外観の印象が国鉄形と違うのは、デザインが京成電鉄の赤電3100形の影響を受けているため。塗装はファイアーオレンジとモーンアイボリーで、房総の里山を走る姿は独特の存在感があります。
エンジンDMH17C、台車DT22。中身はキハ20形200番台そのもの
「見た目が違うなら別物では?」と思うかもしれませんが、床下はキハ20形200番台に準じています。エンジンはDMH17C、台車はDT22・TR51。つまり、キハ20形の200番台以降と同じ走行機器を積んでいるわけです。
だから走行音も同じ系統です。DMH17系の低い唸りと、液体式変速機が段を変えるときの間の抜けた感じ。キハ20系そのものが定期運用から退いた今、この音を運賃だけで日常的に聞ける路線は限られています。
車内はオールロングシートで、製造当初は非冷房でした。現在はキハ209と210を除いて冷房化されています。逆に言えば、非冷房のまま残った車両も存在するということです。
2026年時点で残り10両。置き換えは静かに進んでいる
ただし、いつまでも当たり前に乗れるとは限りません。2024年12月時点で、キハ209(保留車)・キハ202(定期運行離脱)・キハ203(廃車)・キハ206(休車)を除く10両が小湊鉄道線で運用されています。14両あった陣容が10両まで減った計算です。
背景にあるのは、2021年春から始まったJR東日本のキハ40形の導入です。部分的な置き換えが進んでおり、運用に入る本数は年々変わっています。「まだ大丈夫」と思っているうちに数が減るのは、キハ20系がたどった道とまったく同じ流れです。
乗るなら早いほうがいい、というのはこういう理由からです。詳細は小湊鐵道公式サイトのキハ200形紹介ページで車両ごとの状況が公開されています。
五井〜上総中野の乗り方と、いちばん得なきっぷ
小湊鐵道は千葉県市原市の五井駅から大多喜町の上総中野駅までを結びます。お得なきっぷは公式サイトに4種類が掲載されていて、目的で選び分けるのが正解です。
全線を往復するなら1日フリー乗車券が大人2,000円・小人1,000円。里山エリアだけを回るなら里山フリーきっぷが大人800円・小人400円と割安です。房総半島を横断していすみ鉄道へ抜けるなら房総横断記念乗車券(大人2,000円・小人1,010円)、上総鶴舞・高滝湖周辺の観光なら周遊乗車券(大人1,420円・小人710円)という選択になります。いずれも発売当日限り有効です。
⚠️ 小湊鐵道はICカードが使えません
SuicaやPASMOは小湊鐵道線では利用できません。JR内房線から五井駅で乗り継ぐとき、ICカードのまま改札を通ろうとして足止めされる人が実際にいます。きっぷは駅窓口または一部の券売機で購入してください(小湊鐵道公式・お得な乗車券)。
見に行く前に知っておきたい落とし穴と、目的別の回り方
よくある失敗:「キハ205」は日本に2両ある
キハ20を調べていて最初につまずくのがこれです。「キハ205」という車号は、岡山の水島臨海鉄道と茨城のひたちなか海浜鉄道の両方に存在します。まったく別の車両です。
ややこしいのは、茨城のキハ205(元キハ20 522)がかつて水島臨海鉄道に在籍していたこと。1996年に湊線へ移った後、水島臨海鉄道は別の車両にキハ205を名乗らせています。だから「キハ205は倉敷で動態保存」という情報と「キハ205は那珂湊で引退」という情報が同時に出てきて、混乱する人が続出しました。
調べるときは、車号だけでなく必ず事業者名とセットで確認してください。「水島臨海鉄道のキハ205」「ひたちなか海浜鉄道のキハ205」と言い分ければ間違えません。
「動態保存」=いつでも乗れる、ではない
動態保存という言葉には「走れる状態で保存されている」以上の意味はありません。定期的に営業運転をしているわけではないので、思い立った日に行っても車庫の中、というのは普通に起こります。
水島臨海鉄道のキハ205は4月〜9月の第1日曜(5月は第2週)に限られ、しかも1日フリーきっぷは各日先着100枚。SLキューロク館のキハ20 247も、走行するのはイベント日だけです。どちらも「車両の状態によって運転日・車両は予告なく変更」される旨が明記されています。
やることは1つ。訪問予定日の1週間前と前日に、公式サイトの最新告知を見る。これだけで空振りはほぼ防げます。長距離の遠征になるほど、この確認が効いてきます。
目的別・後悔しない回り方
💡 シーン別の選び方
とにかく乗りたい/小湊鐵道キハ200形(運賃だけ・運転日を選ばない)または水島臨海鉄道の運転日を狙う
家族連れ・小さい子と/SLキューロク館(入館無料・SLと一緒に見られる)
撮影が目的/天竜二俣駅の転車台ツアー(大人350円・扇形車庫と一緒に撮れる)
じっくり車内を見たい/ひたちなか海浜鉄道の見学ツアー告知を待つ
時間帯にもコツがあります。屋外保存のキハ20 247やキハ20 443は、午前中のほうが順光になりやすく、色が沈みません。逆に構内走行イベントは午後の回のほうが空いていることが多いので、乗るのが目的なら午後を狙うと落ち着いて楽しめます。
それから、平日と土休日でツアーの開催回数が違う施設があります。天竜二俣駅の転車台ツアーは土休日が10:50と13:50の2回、平日は13:50の1回だけ。平日に行くなら、この1回に合わせて到着時刻を逆算しておく必要があります。
Q&Aでまとめて解決
記事に掲載した料金・開催日は取材時点で各社が公表していた内容です。イベントの日程や料金は変更されることがあるため、出発前に各社の公式サイトで最新情報をご確認ください。
まとめ:キハ20は「終わった車両」だけど、会いに行ける車両
キハ20系は、国鉄が1957年から1966年にかけて1,126両を送り出した一般形気動車でした。暖地向けのキハ20形409両を中心に、酷寒地向けのキハ22形313両、2エンジンのキハ52形112両などに枝分かれし、全国の非電化ローカル線を支えました。JR線では1990年代前半にほぼ姿を消し、最後まで残ったキハ52形も2010年3月のJR西日本大糸線を最後に本線から退場。私鉄でも2024年10月にひたちなか海浜鉄道のキハ205が、2025年6月15日にいすみ鉄道のキハ52 125が営業運転を終えました。
それでも「もう見られない」とあきらめる必要はありません。岡山の水島臨海鉄道のキハ205は国鉄標準色に戻って構内を走り、栃木のSLキューロク館ではキハ20 247が2024年に自走復活。茨城のキハ205は見学ツアーの主役として残り、静岡の天竜二俣駅ではキハ20 443が国の登録有形文化財の転車台とともに保存されています。さらに千葉の小湊鐵道では、キハ20形200番台と同じDMH17Cエンジン・DT22台車を積んだキハ200形が10両、今日も普通の列車として走っています。
📝 次にやること
- まずは水島臨海鉄道の公式告知で、次のキハ205運転日を確認する
- 関東在住なら小湊鐵道の1日フリー乗車券(大人2,000円)で先に「音」を体験しておく
- 撮影目的なら天竜二俣駅の転車台ツアーの平日13:50の回を押さえる
- ひたちなか海浜鉄道の見学ツアーは不定期なので、公式サイトをブックマークしておく
キハ20系が生まれてから、もうすぐ70年になります。数を減らしながらも自力で走る個体が残っているうちに、あのDMH17系の唸りを一度は聞いておく。それが今このタイミングで動く価値だと思います。運転日は各社の公式サイトで随時更新されるので、最新情報はそちらでご確認ください。

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