キハ45は1995年に形式消滅|179両つくられた国鉄の近郊形気動車と今も会える3施設

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時刻表アプリで「キハ45」と検索しても、当たり前ですが1本も出てきません。模型店の棚やレトロな鉄道写真集では見かけるのに、実車の情報になると急に手がかりが消える——キハ45を調べていて、そんなモヤモヤに突き当たった人は多いはずです。

先に結論をお伝えします。キハ45形は1995年8月に最後の1両が廃車され、形式そのものが消滅しました。仲間まで含めた「キハ45系」全体でも、営業運転は2003年に終わり、車籍が残っていた最後の1両も2009年6月10日に廃車。つまり2026年のいま、キハ45に乗ることも、屋外の保存車を見に行くこともできません。

ただ、これで話が終わるともったいない。キハ45系は179両という少数派ながら、いまも全国のローカル線で走っているキハ40系の「設計の親」にあたる存在です。この記事では、キハ45とは何だったのかを5形式179両の内訳から整理し、なぜ20年ちょっとで姿を消したのかを数字で追いかけ、そのうえで「今どこへ行けば当時の空気に会えるのか」まで具体的にご案内します。

✅ この記事でわかること

✓ キハ45は「片運転台・1エンジン」の近郊形気動車で、98両しかつくられなかった

✓ キハ45系=キハ23・24・45・46・53の5形式179両の総称という関係

✓ 180PSのまま出力を上げてもらえず、後継のキハ40系に置き換えられた経緯

✓ 保存車がほぼ残っていない現実と、代わりに国鉄形気動車に会える3施設

目次

キハ45とは?国鉄が1966年に投入した「近郊形」気動車のこと

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まず結論:片運転台・1エンジンの一般形気動車で、98両だけの少数派

キハ45形は、1966年から1968年にかけて国鉄が製造した気動車です。運転台は片側だけ(片運転台)、エンジンは床下に1基。製造されたのは98両で、内訳は暖地向けの0番台が74両、寒地向けの500番台が22両、そして簡易郵便荷物車として1969年につくられた600番台が2両でした。

数だけ見るとピンとこないかもしれませんが、同時期の国鉄気動車としてはかなり小さな所帯です。後継となるキハ40系が888両、そのうちキハ40形だけで392両つくられたことを思えば、キハ45形はその4分の1しかいません。「見たことがない」「乗った記憶がない」という人が多いのは、単純に絶対数が少なかったからです。

設計上のねらいは、都市近郊の通勤輸送と中長距離のローカル輸送を1形式で両立させること。国鉄はこれを「近郊形気動車」と位置づけました。乗る人の目線でいえば、ドアが広くて乗り降りしやすいのに、座席はボックス席が残っているという折衷タイプです。通勤ラッシュの駅では素早くさばけて、田んぼの中の長距離区間ではボックスでくつろげる。当時としては欲張りな車両でした。

「キハ45系」と「キハ45形」は別物です

調べていて混乱しやすいのがここ。「キハ45形」は98両の1形式、「キハ45系」はキハ23・キハ24・キハ45・キハ46・キハ53の5形式179両をまとめた呼び方です。同じ設計思想でつくられた兄弟をまとめて系列名で呼ぶのは、国鉄車両ではよくある整理の仕方です。

製造期間は1966年から1969年までのわずか4年間。この短さも系列を理解するカギになります。国鉄は同じ時期にキハ20系(片開き2ドア・クロスシート)とキハ35系(両開き3ドア・ロングシート)という両極端の一般形気動車を持っていました。前者は乗り降りに時間がかかり、後者はローカル線で使うには座席が寂しい。その中間を狙って出てきたのがキハ45系、というわけです。

だから外観の見分け方もはっきりしています。両開きの広いドアが片側2か所、窓の下にボックス席の並ぶ車体を見つけたら、それがキハ45系の顔です。写真を見比べるときは、ドアの枚数と開き方を最初にチェックすると迷いません。

形式名の「キ」「ハ」「45」がそれぞれ意味すること

キハ45の「キ」は気動車、「ハ」は普通車を表します。国鉄の形式記号は、この2文字だけで動力方式と車内グレードが読み取れるようになっています。数字の40番台は一般形(普通列車用)に割り当てられた区分で、急行形は50番台、特急形は80番台という並びでした。

数字の使い分けにもルールがあり、キハ45系のなかでは40番台が片運転台、20番台が両運転台という整理になっています。キハ45とキハ46が片運転台、キハ23とキハ24が両運転台なのはこのためです。例外はエンジン2基のキハ53で、こちらは両運転台ながら別番号が振られました。

形式名の読み方がわかると、駅で見かけた古い車両の素性がその場で推測できるようになります。車両記号のルールは気動車だけでなく電車にも共通しているので、あわせて押さえておくと鉄道旅の解像度が一段上がります。

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キハ45系の600番台2両は、客室の一部を仕切った簡易郵便荷物車でした。普通列車が郵便物や新聞を運んでいた時代の名残で、いまの「宅配は貨物列車」という常識とは違う輸送のかたちがここに残っています。

5形式179両の内訳を1枚の表で整理する

キハ23形(54両)——結果的に系列の主役になった両運転台車

キハ23形は両運転台の1エンジン車で、54両が製造されました。暖地向けの0番台が33両、寒地向けの500番台が21両という内訳です。定員は116名、うち座席は76名分。

両運転台という構造は、1両だけで走れることを意味します。ローカル線で朝夕は3両、昼間は1両、といった柔軟な運用ができるため、乗客が減っていく路線ほど重宝されました。製造数はキハ45形より少なかったのに、最後まで生き残ったのはこのキハ23形だったのは、この汎用性の差が理由です。

晩年のキハ23形には手も入りました。JR東日本は500番台11両に1990年から1991年にかけて車両更新工事を実施し、外板や内装、扉を交換したうえでエンジンをコマツ製のDMF11HZに載せ替えています。国鉄形の車体に新しい心臓を入れるこの手法は、のちのキハ40系の延命工事でも定番になりました。

キハ45形(98両)——系列で最多、でも真っ先に消えた

片運転台のキハ45形は系列最多の98両。定員124名(座席84名)と、系列のなかで最も多くの人を乗せられる車両でした。運転台が片側だけなので、その分だけ客室が広く取れる計算です。

ところが片運転台には弱点があります。単独では走れず、必ず相棒とペアを組む必要があるという点です。乗客が減って1両編成の列車が増えていくと、真っ先に使いどころを失うのがこのタイプでした。民営化直後の1989年から各社で急速に廃車が進み、1994年10月以降はJR九州のキハ45 22がたった1両の生き残りに。その最後の1両も1995年8月に廃車され、キハ45形は形式消滅しました。

「輸送量が増える前提」で設計された車両が、輸送量が減る時代に真っ先に退場する。キハ45形の一生は、1970年代以降のローカル線が置かれた状況をそのまま映しています。

キハ24形(10両)とキハ46形(6両)——デッキつきの北海道仕様

北海道向けにつくられたのがキハ24形(1967年・10両)とキハ46形(1966年12月・6両)です。キハ24形が両運転台、キハ46形が片運転台という関係は、本州向けのキハ23形とキハ45形の対応関係と同じです。

この2形式だけは車体構造が違います。本州向けが1,300mm幅の両開き扉なのに対し、北海道向けは1,000mm幅の片開き扉+デッキ。窓も二重窓です。ドアが開くたびに客室へ冷気が流れ込むのを防ぐための仕様で、寒さ対策が最優先された結果、近郊形の売りだった「乗り降りの速さ」は諦めています。定員はキハ24形で102名(座席77名)と、本州向けより少なめでした。

キハ24形の見た目は、のちのキハ40形の原型そのものです。実際、キハ40系ではキハ40形がキハ24形をベースに設計されました。北海道で撮られたキハ24形の写真を見ると、キハ40形の顔立ちがすでに完成していることに気づきます。

キハ53形(11両)——2エンジンで坂に挑んだ11両

キハ53形は、エンジンを2基積んだ両運転台車です。0番台9両(1967・69年)と100番台2両(1968年)の計11両しかつくられていません。系列で最少です。

2基積みの理由は勾配線区への対応でした。1基180PSでは急勾配を登り切れない路線があり、そこにパワーを倍にした車両を送り込んだわけです。ただし床下がエンジンで埋まるため、定員は84名(座席73名)と系列で最も少なくなりました。100番台2両は10両編成以上の長大編成に対応するため、ブレーキ制御継電器などを追加しています。

下の表が5形式の全体像です。数字を並べると「何を優先してどこを削ったか」がはっきり見えてきます。

形式 両数 運転台 エンジン 定員(座席)
キハ23形 54両 両運転台 1基 116名(76名)
キハ24形 10両 両運転台 1基 102名(77名)
キハ45形 98両 片運転台 1基 124名(84名)
キハ46形 6両 片運転台 1基 —
キハ53形 11両 両運転台 2基 84名(73名)

車内と走りはどうだった?いま乗れないからこそ知りたいスペック

車内と走りはどうだった?いま乗れないからこそ知りたいスペックの解説画像

広いドアとボックス席が同居する、いいとこ取りの車内

キハ45系の車内は、扉の間と車端部にボックス席、扉付近にロングシートを配したセミクロスシートでした。車体長は20,800mm、幅は2,800mm。本州向けの扉は1,300mm幅の両開きが片側2か所で、当時のローカル用気動車としては広い部類です。

この配置には明確な意図があります。混む区間ではドア付近のロングシートに立客を流し、空いてきたらボックスに座ってもらう——1本の列車が朝の通勤電車と昼の長距離鈍行を兼ねる、地方都市圏の現実に合わせた設計でした。いまのJR東日本の近郊形電車が同じ思想でつくられていることを考えると、この折衷案は方向としては正しかったといえます。

暖房も気合いが入っていて、急行形気動車と同等の温水式が標準採用されました。そして全車にトイレが付いているのもポイントです。ローカル線では列車が1時間以上戻ってこないことがあり、トイレの有無が乗車のハードルを決めます。この点、キハ45系は当初から抜かりがありませんでした。

DMH17H形180PS・最高速度95km/h——数字で見る走行性能

搭載エンジンはDMH17H形ディーゼルで、出力は180PS(1,500rpm時)。変速機は液体式のTC2AまたはDF115Aで、最高速度は95km/hでした。自重は形式によって33.0〜39.7tです。

180PSという数値は、いまの感覚だとかなり控えめです。国産の乗用車1台ぶんの出力で、40t近い鉄の箱を動かしていた計算になります。加速は緩やかで、勾配区間ではエンジン音ばかりが大きくなって速度が伸びない。キハ53形が2基積みにされたのは、この非力さを人海戦術ならぬ「エンジン戦術」で補うためでした。

変速段数も1段という簡素なもので、高速域での余力がありません。ダイヤが高速化していくほど不利になる構造で、これが後年の運命を決定づけます。走行性能の弱さは、この系列を語るうえで避けて通れない前提です。

ガタンゴトン研究所調べ:キハ45系とキハ40系のスペック比較

「なぜ置き換えられたのか」を体感するには、後継のキハ40系と数字を並べるのが早道です。キハ40系は1977年から1982年にかけて888両(キハ40形392両、キハ47形370両、キハ48形126両)が製造され、キハ45系・キハ66系の設計を基にしています。

比較項目 キハ45系(1966〜69年) キハ40系(1977〜82年)
製造両数 179両 888両
エンジン出力 180PS(DMH17H形) 220PS(DMF15HSA形)
車体長 20,800mm 20,800mm
最高速度 95km/h 95km/h

車体長も最高速度も同じなのに、エンジン出力だけが180PSから220PSへ引き上げられている。しかもキハ40系の機関は最大250PS(2,000rpm時)まで出せる設計です。同じ大きさの箱でパワーだけが底上げされたのだから、現場が新型を歓迎したのは自然な流れでした。

製造からわずか20年ちょっと、なぜここまで早く消えたのか

理由1:180PSのまま、最後までパワーアップされなかった

キハ45系が短命だった最大の理由は、エンジンが180PSのまま更新されなかったことです。DMH17系は戦後の国鉄気動車を支えた名機ですが、1960年代後半にはすでに設計が古く、出力の伸びしろが残っていませんでした。

一方、10年後に登場したキハ40系は220PSのDMF15系に切り替え、その後の各社の延命工事ではさらに出力の大きい機関に載せ替えられていきます。エンジンを積み替えれば車体はまだ使える——この発想の受け皿になったのがキハ40系で、キハ45系はその流れに乗れませんでした。JR東日本がキハ23形500番台11両に施した更新工事は、その数少ない例外です。

結果として、置き換えの優先順位で常に上位に置かれることになります。車体はまだ十分使えるのに、走りが足を引っ張って先に退場した。キハ45系はそういう車両でした。

理由2:全国にバラバラに配置された「少数派」だった

キハ45系は179両という両数の割に、全国各地に散らばって配置されました。国鉄時代の主な活躍場所は房総各線、陸羽東線、城端線、氷見線、山口線など。北海道では函館本線・瀬棚線・松前線・江差線・千歳線・札沼線で使われ、急行「松前」「えさし」にも充当されています。

需要のあるところへ少しずつ送り込む配置は、一見合理的です。しかし車両の一生という視点で見るとこれが痛い。1つの区所にまとまった両数がいないと、専用の部品を抱える理由が薄くなるからです。同じ検修設備で扱える車両が多数派になるほど整備は効率化し、少数派は逆に手間ばかりかかる存在になります。

民営化でJRが5社に分かれると、この分散はさらに効きました。JR北海道が15両、JR東日本が25両、JR四国が24両、JR九州が17両——各社にとっては「数えるほどしかいない外様形式」です。会社ごとに車両を整理する段になれば、まずここから手が付きました。

理由3:冷房化の波に乗れなかった

1980年代以降、普通列車にも冷房が当たり前になっていきます。ところがキハ45系で冷房改造を受けたのは、JR西日本のキハ23 520ただ1両。サブエンジン式のAU34形を搭載したこの車両が、系列で唯一の冷房車でした。

気動車の冷房化は電車より厄介です。走行用エンジンから電力を取るか、冷房専用のサブエンジンを積むしかなく、どちらにしても床下に余裕が要ります。もともと非力な180PSの車両にこれ以上の負担をかけるのは現実的ではありませんでした。

⚠️ 「非冷房のまま」が意味したこと

同じ路線に冷房付きのキハ40系が入ってくると、夏の乗客からは「今日は当たりか外れか」の話になります。サービス格差は運用の制約に直結し、非冷房車から順に運用を外されていきました。走行性能だけでなく、快適性の面でも置き換えの理由がそろってしまったわけです。

キハ45系の設計は、キハ40系に受け継がれた

キハ45系は消えましたが、設計思想は途切れていません。キハ40系はキハ45系・キハ66系の設計を基にしており、キハ40形はキハ24形を、キハ47形はキハ45形をベースにしています。両運転台のキハ40形、片運転台で両開き扉のキハ47形という組み合わせは、キハ45系の形式構成をそのまま引き継いだものです。

車体長20,800mmという寸法も共通で、最高速度95km/hも同じ。違うのはエンジンで、180PSから220PSへ引き上げられました。キハ40系がその後40年以上も走り続けられたのは、この一手が効いたからです。キハ45系は、失敗というより「あと一歩早く生まれすぎた形式」でした。

JR各社での最期を年表で追う:1991年の四国から2009年の西日本まで

5社で消えた順番——四国、九州、北海道、東日本、西日本

民営化でキハ45系は5社に引き継がれました。JR北海道がキハ24形10両とキハ46形5両、JR東日本がキハ23形・キハ45形あわせて25両、JR西日本がキハ23形40両・キハ45形38両・キハ53形6両、JR四国がキハ45形24両、JR九州がキハ23形3両・キハ45形10両・キハ53形4両です。

消えた順番は、継承両数の少なさとほぼ一致します。JR四国が1991年、JR九州が1993年、JR北海道が1995年、JR東日本が2000年、そしてJR西日本が2009年6月。最初と最後で18年の開きがありました。

1991年
JR四国から消滅(キハ45形24両)
↓
1993年・1995年
JR九州、JR北海道から消滅/1995年8月にキハ45形が形式消滅
↓
2000年・2003年
JR東日本から消滅/キハ23 520の運用が営業運転の最後に
↓
2009年6月10日
最終廃車、キハ45系が完全消滅

キハ45形の最後の1両は、JR九州のキハ45 22だった

キハ45形に絞ると、幕引きはもっと早く訪れます。民営化直後の1989年から各社で廃車が進み、1994年10月以降に残っていたのはJR九州のキハ45 22ただ1両。その1両も1995年8月に廃車となり、キハ45形は形式消滅しました。

この年、日本ではまだ多くの路線で国鉄形気動車が主力でした。それでもキハ45形が真っ先に姿を消したのは、片運転台という構造がローカル線の減量ダイヤと相性が悪かったからです。1両で走れない車両は、1両で足りる時代に居場所がない——理屈にすると当たり前ですが、当時この形式だけが極端に早く消えた事実は、その厳しさをよく表しています。

ちなみに営業運転そのものの最後は、JR西日本山口鉄道部のキハ23 520が担いました。2003年10月のダイヤ改正前の運用が最終営業で、その後は車籍だけが残り、2009年6月10日の廃車で系列の歴史が閉じています。

実は「多数派のキハ45形」より「少数派のキハ23形」が長生きした

ここが、この系列でいちばん面白いところです。98両つくられたキハ45形は1995年に消滅し、54両しかなかったキハ23形は2003年まで営業運転に就いていました。両数が多い形式ほど長く残る、という直感が逆転しているのです。

理由は運転台の数に尽きます。ローカル線の乗客が減れば列車は短くなり、最後は1両編成になる。そのとき必要とされるのは、単独で折り返せる両運転台車です。キハ23形は「1両で完結できる」という一点で、多数派の兄を追い越して生き延びました。

この構図はいまの国鉄形にも当てはまります。全国のローカル線で最後まで残っているキハ40系のうち、単行運転できるキハ40形が観光列車などに転用されやすいのも同じ理屈です。車両の寿命を決めるのは、性能よりも「その時代のダイヤに合うかどうか」だと考えると、鉄道車両の見え方が変わってきます。

いま走っている国鉄形も、同じ道をたどっている

888両が製造されたキハ40系も、2026年時点では各地で置き換えが進み、走る場所が絞られてきました。JR北海道では定期運行を終えて観光列車や臨時列車が中心になり、道南いさりび鉄道のような第三セクターや一部のJR線が主な活躍の場です。

キハ45系が教えてくれるのは、「まだ走っているから、いつでも乗れる」という前提が意外と短いということです。179両の系列は約40年で完全に消え、屋外で見られる保存車も残りませんでした。乗りたい車両があるなら、走っているうちに予定を立てるのが結局いちばん確実です。

2026年のいま、キハ45に会える場所はあるのか

結論:一般公開されている保存車は、事実上ありません

残念な答えから先に書きます。キハ45系の保存車として記録が残っているのは、廃車後に札幌市内の店舗で利用されていたキハ24 2くらいで、その車両も2015年に解体処分されました。いまは片方の前頭部が個人によって保存されているのみです。

つまり、休日に出かけて実車の前に立てる場所は基本的にありません。鉄道系の博物館の収蔵リストを見ても、キハ45系の名前は出てきません。国鉄形の保存というと蒸気機関車や特急形に人気が集中し、地味な一般形気動車、それも少数派となると、保存の受け皿がほとんどなかったのが実情です。

写真・図面・模型を通して知るしかない形式——これがキハ45の現在地です。逆にいえば、いま走っている国鉄形気動車は「まだ会えるうち」だという事実を、この形式は教えてくれます。

なぜ保存されなかったのか、3つの事情

第一に、廃車のピークが早すぎました。キハ45形の消滅は1995年。鉄道車両の保存や引退イベントが今のように盛り上がるのは2000年代以降で、当時は「古い普通列車の車両」をわざわざ残す発想自体が一般的ではありませんでした。

第二に、両数の少なさです。179両という所帯では、地域ごとの「思い出の車両」になりにくい。長年その土地を走った形式なら自治体が引き取ることもありますが、キハ45系はどの路線でも「いる車両のうちの1つ」でした。

第三に、保存の物理的なハードルです。気動車1両の全長は20mを超え、置き場所と屋根、そして継続的な塗り直しが要ります。個人でも自治体でも、腰を据えて維持できる形式は限られます。同じ一般形気動車でも、キハ20系は最後まで営業運転が続いたぶん記録も保存も手厚く残りました。

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⚠️ 失敗パターン:古い保存車リストを信じて出かけてしまう
個人サイトの保存車リストは更新が止まっていることがあり、10年以上前に解体された車両がそのまま載っているケースがあります。キハ24 2のように「店舗として保存」と書かれていた車両が、実際には現地でとっくに姿を消していた例は珍しくありません。対策はシンプルで、出発前に施設の公式サイトか公式SNSで車両名を検索し、直近の情報が出るか確かめること。公式の展示車両ページに名前がなければ、行っても会えない可能性が高いと判断できます。

模型と資料で追いかけるという選択肢

実車に会えない形式を楽しむ王道は、模型と資料です。キハ45系は各社から鉄道模型が製品化されていて、キハ23形の両運転台とキハ45形の片運転台を並べると、この記事で書いてきた形式の違いが手のひらの上で理解できます。

資料としては、国鉄時代の配置表や当時の時刻表が役に立ちます。房総各線、陸羽東線、城端線、氷見線、山口線——キハ45系が走った線区の当時のダイヤを眺めると、1両あたり何往復させていたのか、どんな運用に組み込まれていたのかが見えてきます。いま同じ路線に乗ってみて、当時の運転時分と比べるのも楽しい追いかけ方です。

代わりに国鉄形気動車と対面できる3つの施設

津山まなびの鉄道館(岡山)——扇形機関車庫に13両が並ぶ

キハ45系の空気を体で感じたいなら、まず岡山の津山へ。2016年4月に開館した津山まなびの鉄道館は、1936年建築の旧津山扇形機関車庫(17線)を中心とした施設で、13両の車両が扇形に並びます。国内で1両だけ製造されたディーゼル機関車DE50 1もここにいます。

入館料は高校生以上が310円、小・中学生が100円。開館時間は9:00〜16:00で、入館は15:30までです。休館日は月曜日(祝日の場合は翌日)と12月29日〜12月31日。閉館が16:00と早めなので、津山線や姫新線で午後に着く行程だと滞在時間が足りなくなります。午前中に入るスケジュールを組むのが確実です。

詳細は津山まなびの鉄道館の公式サイトで確認できます。

📍 津山まなびの鉄道館
住所 〒708-0882 岡山県津山市大谷
電話番号 0868-35-3343
営業時間 9:00〜16:00(入館は15:30まで)
定休日 月曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日〜12月31日
アクセス JR津山駅から徒歩約10分
駐車場 あり(普通車約35台)
公式サイト 公式サイト

四国鉄道文化館(愛媛)——キハ65形に会える駅前ミュージアム

キハ45系と同じ1960年代生まれの気動車に会えるのが、愛媛県西条市の四国鉄道文化館です。館内には急行用気動車のキハ65 34のほか、DF50形1号機、C57形44号機、0系新幹線21-141、DE10形DE101、フリーゲージトレインGCT01-201が展示されています。

入館料は高校生以上300円、小中学生100円、就学前児童は無料(20名以上の団体は2割引)。開館時間は9:00〜17:00で最終入館は16:30、休館日は水曜日(水曜日が祝祭日の場合は翌日)です。JR伊予西条駅から東へ徒歩2分という立地なので、予讃線の特急を1本落として立ち寄る、という使い方ができます。

キハ65形はキハ58系の系譜に連なる急行形ですが、DMH17系より強力な機関と冷房電源を積んだ「国鉄が非力さを克服しようとした車両」です。180PSで頭打ちになったキハ45系と見比べると、当時の技術の分かれ道がよく見えてきます。最新の展示内容は鉄道歴史パーク in SAIJOの公式サイトで確認できます。

📍 四国鉄道文化館
住所 〒793-0030 愛媛県西条市大町798番地1
電話番号 0897-47-3855
営業時間 9:00〜17:00(最終入館16:30)
定休日 水曜日(水曜日が祝祭日の場合は翌日)
アクセス JR伊予西条駅から東へ徒歩2分
駐車場 あり
公式サイト 公式サイト

小樽市総合博物館 本館(北海道)——キハ22形で北海道仕様を実感する

北海道向けのキハ24形・キハ46形がどんな車両だったかを想像するなら、小樽市総合博物館 本館が近道です。北海道初の鉄道である旧手宮線・手宮駅の跡地にあり、屋外に多数の鉄道車両を展示。そのなかに北海道向け一般形気動車のキハ22 56があります。蒸気機関車「しづか号」も同じ敷地です。

キハ22形はキハ20系の北海道仕様で、デッキ付き・二重窓・小さめの客室窓という構成。キハ24形やキハ46形が採用した1,000mm幅の片開き扉+デッキという設計思想は、まさにこの流れを汲んでいます。実車の前に立つと、「なぜ北海道向けだけ乗降の速さを捨てたのか」が体感でわかります。

開館時間は9:30〜17:00、休館日は火曜日(祝日の場合は翌平日)と12月29日〜1月3日。入館料は一般400円、高校生と市内在住70歳以上が200円、中学生以下は無料です。11月上旬から4月下旬までは冬期料金になり、一般300円、高校生と市内在住70歳以上は150円に下がります。開館情報は小樽市の公式ページが一次情報です。

📍 小樽市総合博物館 本館
住所 〒047-0041 小樽市手宮1丁目3番6号
電話番号 0134-33-2523
営業時間 9:30〜17:00
定休日 火曜日(祝日の場合は翌平日)、12月29日〜1月3日
公式サイト 公式サイト

「見る」より「乗る」派へ:タイプ別の選び方

時間とお金の使いどころは、目的によって変わります。車体の造りをじっくり観察したい人は津山と小樽、短時間で立ち寄りたい乗り継ぎ派は駅から徒歩2分の四国鉄道文化館、そしてとにかく国鉄形の走りを体験したい人は、いま現役の車両に乗りに行くのが正解です。

その代表格が、北海道の道南いさりび鉄道です。同社はJR北海道から譲り受けたキハ40形を使っており、1793号・1799号の「ながまれ号」、1807号の国鉄首都圏色、1798号の国鉄急行色、そして四季をテーマにした1812号(山吹色)・1810号(濃緑色)・1814号(濃赤色)・1815号(白色)が走ります。観光列車「ながまれ海峡号」もこのキハ40形です。車両の詳細は道南いさりび鉄道の公式サイトにまとまっています。

四国や九州にも国鉄形気動車は残っていて、なかには特急として現役の形式もあります。「国鉄形に乗る旅」を計画するなら、走っている場所と時期を先に押さえるのが失敗しないコツです。

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🎯 失敗パターン:休館日と閉館時刻を見ずに動いてしまう

鉄道系の博物館は、水曜休館・月曜休館と施設ごとにバラバラです。四国鉄道文化館は水曜日、津山まなびの鉄道館は月曜日が休館日で、しかも津山は16:00に閉まります。「特急で昼過ぎに着けば大丈夫」と考えて向かうと、入館受付が終わっていた、という取りこぼしが起きます。対策は、宿と特急を押さえる前に休館日と最終入館時刻を先に確認し、そこから逆算して列車を選ぶこと。1本早い列車にするだけで解決するケースがほとんどです。

まとめ:キハ45は資料で追いかけ、いま走る国鉄形は先に乗っておく

🚃 この記事の結論

キハ45形は1995年8月に形式消滅し、公開されている保存車もないため実車には会えません。代わりに国鉄形気動車が残る施設や路線へ、走っているうちに出かけるのが現実的です。

✅ 要点チェック
  • ✔ 正体:片運転台・1エンジンの近郊形、98両
  • ✔ 系列:キハ23・24・45・46・53の179両の総称
  • ✔ 弱点:180PSのまま出力が上がらなかった
  • ✔ 最期:営業運転は2003年、最終廃車は2009年
  • ✔ 代替:津山・西条・小樽の3施設で国鉄形に会える

キハ45という形式は、1966年から1969年にかけて179両だけつくられ、1990年代にほぼ消えました。両開き2扉とボックス席を組み合わせた車内は当時としては新しい発想でしたが、180PSのエンジンと少数派という立場が重なり、888両を擁するキハ40系に置き換えられていきます。片運転台のキハ45形が1995年に消え、両運転台のキハ23形が2003年まで走ったという逆転は、車両の寿命がダイヤの都合で決まることを示す好例です。

最初の一歩としておすすめしたいのは、次の休みに津山まなびの鉄道館か小樽市総合博物館 本館のどちらか、行きやすい方の公式サイトを開いて開館日を確かめることです。同じ時代の空気をまとった車両の前に立つと、写真だけでは伝わらない大きさと音の記憶がぐっと近づきます。

なお、入館料・開館時間・展示車両は変更されることがあります。おでかけ前に各施設の公式サイトで最新情報をご確認ください。

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この記事を書いた人

新幹線の窓側席と駅弁をこよなく愛する鉄道ファン。乗り換え案内や座席選びのコツ、お得なきっぷ情報など、鉄道旅をもっと快適にするための実用的な情報を中心に発信しています。交通手段の比較や空港アクセスガイドも得意分野です。

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