キハ141は客車から生まれた44両の異色気動車|4形式の違いと観光列車への転身を全解説

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「キハ141ってどんな車両?」と検索して、なんだかスッキリしないまま戻ってきた人は多いはずです。それもそのはずで、この車両、名前は気動車(ディーゼルカー)なのに、生まれは客車。しかも札幌のベッドタウンを走ったかと思えば、岩手でSLに引かれ、海を渡ってミャンマーまで行っています。1つの形式でここまで人生が枝分かれした車両は、そう多くありません。

結論から言うと、キハ141系は国鉄50系客車のオハフ51形を種車に、JR北海道が1990年から1995年にかけて44両つくった一般形気動車です。札沼線(学園都市線)の混雑をさばくために生まれ、2012年の電化で散り散りになり、定期運用は2023年5月19日に終わりました。そして生き残ったキハ143形が、いま観光列車「赤い星」「青い星」に生まれ変わろうとしています。

この記事では、4つの形式の違いをエンジンの数で一気に整理したうえで、なぜ客車を気動車に改造するという回りくどいことをしたのか、そしていま乗れる可能性がどこに残っているのかまで、公式資料の数字ベースで追いかけます。鉄道に詳しくない人でも、読み終わるころには「キハ141系=客車から生まれた働き者」とスッと説明できるようになります。

✅ この記事でわかること

✓ キハ141形・142形・143形・キサハ144形の違いが1分で整理できる

✓ 客車をわざわざ気動車に改造した理由と、その改造のキモ

✓ 「SL銀河」で自走していた客車の正体と、9年間の記録

✓ 2027年デビューの観光列車「赤い星」「青い星」の料金と時刻

目次

キハ141系とは?客車から生まれた44両の気動車を3分で整理

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種車は50系客車オハフ51形、1990年から44両が誕生した

キハ141系は、JR北海道が1990年から1995年にかけて44両つくった一般形気動車です。ゼロから新造したのではなく、余っていた国鉄50系51形客車のオハフ51形にエンジンと運転台を取り付けて「気動車化」したものです。

なぜ客車が余っていたかというと、1980年代後半に全国で客車列車が電車・気動車に置き換えられ、比較的新しかった50系客車が大量に行き場を失ったからです。国鉄が1977年から量産した50系は、当時まだ車齢10年前後。捨てるにはもったいない車体が北海道にごろごろしていました。

その受け皿になったのがこの改造計画です。内訳はキハ141形14両、キハ142形15両、キハ143形11両、キサハ144形4両の合計44両。オハフ51形のおよそ3分の2、比率にして約65%が本系列に化けた計算になります。客車から気動車への改造車としては、日本で最も両数が多い例です。

覚え方としては「141と142が第1世代、143と144が第2世代」と押さえると混乱しません。第1世代は1990年から、第2世代は1994年から改造が始まっており、両者は見た目も走りもかなり性格が違います。

「キハ」なのに顔が客車——見た目でわかる3つの特徴

キハ141系を写真で見分けるコツは3つあります。1つめは、前面が平べったく、貫通扉が中央にドンと付いていること。これは種車の車掌室をそのまま運転室に転用したためで、気動車として設計された車両の丸みや傾斜がありません。

2つめは、側面のドアと窓の配置が完全に客車のままだということ。50系客車はデッキ付きの2扉車で、窓割りも均等です。通勤輸送用に手を入れた車両なのに、外から見ると「電車っぽくない」のはこのためです。

3つめは床下です。もともと客車なので床下はガラガラでしたが、そこにエンジンと変速機、燃料タンク、冷却装置がぎっしり追加されました。第1世代のキハ141形・キハ142形は、廃車になったキハ56系から外した台車(DT22A形・TR51形)を履いており、足回りだけ一世代前という凸凹構成になっています。

🚃 鉄道トリビア
車両記号の「キ」は気動車、「ハ」は普通車を表します。エンジンを積まないキサハ144形の「サ」は「差し込む=中間に挟まる付随車」の意味。つまり「キサハ」は“エンジンのない気動車”という、字面だけ見ると矛盾した記号です。動力なしなのに気動車編成の一員なので、こう名乗るしかなかったわけですね。

走った場所は札沼線・室蘭本線・釜石線、そしてミャンマー

キハ141系の活動範囲は、1形式としてはかなり広いです。デビューは札幌都市圏の札沼線(学園都市線)で、ここが本拠地。2012年の電化後は、キハ143形が苫小牧に移って室蘭本線と千歳線で走りました。

さらに4両がJR東日本へ渡り、岩手県の釜石線で観光列車「SL銀河」の旅客車として2014年から走っています。加えて22両がミャンマー国鉄へ譲渡され、ネーピードーとピィを結ぶ列車に使われました。北海道・岩手・東南アジアの3か所で同じ形式が走っていた時期があるわけです。

この「散らばり方」は、種車である50系客車の頑丈さと構造の単純さが効いています。電気系統が複雑な電車と違い、鋼製車体+機械式の足回りという構成は、整備環境が異なる国でも扱いやすいのです。

定期運用は2023年5月19日で終わった

キハ141系の定期列車としての歴史は、2023年5月19日に幕を閉じました。最後まで残ったのは室蘭本線で運用されていたキハ143形で、翌5月20日から新型の737系電車が営業運転を開始しています。

この日を境に、キハ141系は「乗れる車両」ではなくなりました。SL銀河も2023年6月11日の団体臨時列車で運行を終えているため、2023年の初夏を最後に、日本国内でキハ141系に乗る手段はいったん消えたことになります。

ただし、これは終わりではありませんでした。残っていたキハ143形は解体されず、観光列車への改造という次の仕事が待っていたからです。この話は記事の後半でじっくり扱います。

4形式の違いは「エンジンの数」でほぼ説明がつく

キハ141形は250PSを1基積んだ基本形

キハ141形は1990年から1993年にかけて14両(キハ141-1〜14)が改造された、シリーズの出発点です。エンジンはDMF13HS形を1基だけ搭載し、出力は250PS。最高速度は95km/hに設定されました。

1基しか積まなかったのはコストの問題です。客車をベースにした車体は自重が重く、1基では加速に余裕がありません。そこでキハ141形は単独で走らせず、エンジン2基のキハ142形と背中合わせに組んで2両1ユニットで使うのが基本でした。2両で3基ぶんの出力を確保する、という割り切った設計です。

変速機はTC2A形またはDF115A形の液体変速機。台車はキハ56系の廃車発生品を流用したDT22A形とTR51形で、いずれもコイルばね式です。乗り心地は後継のキハ143形とはっきり差があり、この点も含めて「第1世代」と呼ばれます。

キハ142形はエンジン2基のパワー担当

キハ142形は1990年から1995年にかけて15両が改造されました。基本設計はキハ141形と同じですが、決定的な違いはDMF13HS形エンジンを2基積んでいること。1基あたり250PSなので、単純計算で2倍のパワーです。

なぜ形式を分けたかというと、床下スペースと重量配分の都合です。1両に2基積むと燃料タンクや冷却器の置き場が窮屈になり、同時にトイレなどの設備も削らざるを得ません。そこで「動力に振った車両」と「そうでない車両」を別形式にして、ユニットで帳尻を合わせる方式が採られました。

ちなみにキハ142形のうち1両は、後にJR東日本へ渡ってキハ142-701に改番され、SL銀河の1号車になります。44両のなかで最も遠くまで旅をした系統の1両と言っていいでしょう。

キハ143形は450PS・110km/hに進化した本命

キハ143形は1994年から1995年に11両(101〜104・151〜157)が改造された、シリーズの完成形です。エンジンはN-DMF13HZD形1基ですが、出力は450PSと第1世代の1.8倍。変速機もN-DW14C形に更新され、最高速度は110km/hまで引き上げられました。

足回りも刷新されています。台車はN-DT150A形・N-TR150A形という空気ばね式ボルスタレス台車になり、乗り心地と高速安定性が別物になりました。110km/h運転が可能になったのは、この台車交換があってこそです。

定員は100番台が125名(うち座席48名)、150番台が122名(うち座席48名)。100番台はトイレなし、150番台はトイレありという区分で、編成を組むときに必ず150番台が入るようになっていました。デビュー時は非冷房でしたが、1995年から1996年にかけて冷房化改造を受けています。

キサハ144形はエンジンを積まなかった4両

キサハ144形は1994年3月に4両(101〜103・151)が改造された付随車です。エンジンも運転台もなく、キハ143形の間に挟んで3両編成を組むための「増結専用車」でした。種車はオハフ51 7・9・10・33の4両です。

エンジンを積まないぶん改造費が安く、朝夕のラッシュだけ編成を長くしたい札沼線の事情にぴったりでした。裏を返せば、日中は持て余す車両でもあり、両数がわずか4両にとどまったのはそのためです。

このうち2両は後にJR東日本へ渡り、700番台に改番されてSL銀河の中間車になりました。「もともとエンジンがない車両が、SLに引かれる客車に戻った」という点で、44両のなかでもいちばん筋の通ったキャリアを歩んだ形式かもしれません。

ここまでの違いを、1枚の表にまとめておきます。

形式 改造年 両数 エンジン 最高速度
キハ141形 1990〜1993年 14両 250PS×1基 95km/h
キハ142形 1990〜1995年 15両 250PS×2基 95km/h
キハ143形 1994〜1995年 11両 450PS×1基 110km/h
キサハ144形 1994年 4両 なし(付随車)

※ガタンゴトン研究所調べ(公表スペックをもとに整理)

国鉄形の気動車がいまも各地で現役なのは、こうした改造や転用の積み重ねがあるからです。四国と九州で走り続けている国鉄形の例も合わせて読むと、キハ141系の立ち位置がよりはっきりします。

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なぜ客車をわざわざ気動車に改造したのか

なぜ客車をわざわざ気動車に改造したのかの解説画像

札幌のベッドタウン化で札沼線がパンク寸前だった

答えは「札沼線が混みすぎたから」です。札沼線(学園都市線)は札幌駅から北へ伸びる路線で、1980年代後半から沿線の宅地化が急速に進みました。学園都市線という愛称のとおり大学も多く、通学時間帯の混雑が深刻になっていったのです。

ところが当時の札沼線は全線が非電化。電車を入れるには架線を張る工事が必要で、すぐには手が出せません。かといって既存のキハ40形などを増やそうにも、車両数が足りませんでした。輸送力を「いますぐ」増やす手段が求められていたわけです。

そこに、行き場を失った50系客車という在庫がありました。1990年に最初のキハ141形が登場したのは、この需要と在庫がちょうど噛み合ったタイミングだったからです。実際、札沼線の電化が完成するのは2012年6月1日で、キハ141系はその22年間を埋める役割を果たしました。

新車を買う体力がなかったJR北海道の台所事情

もう1つの理由は、お金です。JR北海道は発足時から経営環境が厳しく、通勤形気動車を新造する予算を確保しづらい状況にありました。新車を14両つくるのと、手元にある客車14両を改造するのとでは、費用がまるで違います。

しかも50系客車は、当時まだ車齢が若く、鋼製車体の状態も良好でした。骨格が使えるなら、エンジンと運転台を足すだけで気動車になります。第1世代でキハ56系の廃車発生品の台車を流用したのも、同じ発想の延長です。

結果として、44両という大所帯を比較的短期間でそろえることができました。1990年から1995年までのわずか6年で全車が出そろっている点からも、この方式のスピード感がわかります。

車掌室が運転台に化けた——改造のいちばんのキモ

技術的なポイントは、車掌室の転用です。50系客車のオハフ51形は車端に車掌室を持っており、そこには前方を見るための窓と、ブレーキ操作の機器がすでにありました。この空間をそのまま運転室に作り替えたのが、キハ141系の顔つきの正体です。

おかげで前面は貫通扉付きの平らな形になり、いかにも「後から運転台を付けました」という表情になりました。運転台を新設する場合、車体の骨組みから作り直す必要がありますが、車掌室を使えばその工事を大幅に省けます。

床下にはエンジン、変速機、燃料タンク、冷却装置を新規に装備。ブレーキ系統も気動車用に組み替えられました。「上まわりは客車、下まわりは気動車」という表現が、この車両ほど当てはまる例はなかなかありません。

実は、客車改造気動車としては珍しい成功例だった

意外と知られていないのですが、客車を気動車に改造する試みは国鉄時代から何度も行われていて、その多くは少数で終わっています。走行性能が中途半端になったり、床下スペースが足りずに設計が破綻したりするからです。

キハ141系が44両という規模まで拡大できたのは、種車の50系が「気動車化を前提にしたわけではないのに、たまたま条件が良かった」ためです。デッキ付き2扉、平屋根、頑丈な鋼製車体、そして状態の良い床構造。この組み合わせが、大量改造を成立させました。

さらに第2世代のキハ143形では450PS・110km/hまで性能を引き上げ、電化前提の路線で新型電車と同等の速度で走れるようにしています。「間に合わせ」で始まった計画が、最終的に本格的な通勤形へ到達した——ここがキハ141系のいちばん面白いところです。

Q. 改造車って、新車より早く古くなるんじゃないの?
A. 車体の年齢は種車のまま引き継がれます。キハ141系の場合、車体は1970年代後半の50系客車のものなので、改造から30年経った時点で車体そのものは経年40年超。JR北海道が観光列車化のために内装材の内側まで確認したところ、想定以上の腐食と歪みが見つかったのは、この「車体だけ年上」という事情によるものです。

札沼線から室蘭本線へ、33年の運用をたどる

1990年、非電化だった学園都市線の主力に

キハ141系の現役期間は、1990年から2023年までの33年間におよびます。前半の22年は札沼線(学園都市線)が舞台でした。札幌〜北海道医療大学間を中心に、キハ40形などと混ざりながら朝夕は長い編成を組んで走っていました。

キハ143形とキサハ144形が加わった1994年以降は、キハ143形+キサハ144形+キハ143形の3両編成が組めるようになり、ラッシュ時の輸送力が一段と上がりました。エンジン付きの車両で付随車をサンドイッチする構成は、電車のユニットに近い考え方です。

この時期の学園都市線は、ディーゼルカーが札幌駅の地下ホームに次々と入ってくる、全国的にも珍しい光景で知られていました。都市部の高頻度運転を気動車がこなしていた点でも、キハ141系は特異な存在です。

2012年の電化で運命が3つに分かれた

転機は2012年です。6月1日に桑園〜北海道医療大学間が電化され、10月27日から電車での運転が始まりました。ここでキハ141系44両の行き先は、大きく3つに分かれます。

1つめは廃車。第1世代のキハ141形・キハ142形の多くと、キサハ144形の一部がこのルートをたどりました。2つめは海外譲渡で、22両がミャンマー国鉄へ渡っています。3つめが道内での転用で、キハ143形が苫小牧に移りました。

そして4両だけ、まったく違う道が用意されました。2012年11月28日付でJR東日本へ譲渡され、岩手県の釜石線を走ることになった車両たちです。1つの形式が同じ年に「廃車・海外・転用・他社譲渡」の4方向へ散るのは、なかなかありません。

苫小牧に渡ったキハ143形の第二の人生

室蘭本線に移ったキハ143形は、苫小牧を拠点に室蘭〜東室蘭〜苫小牧間で運用されました。転用にあたっては2011年から2012年にかけてワンマン改造が施され、LCD運賃表示機、両替機付き運賃箱、転落防止用の外幌が装備され、保安装置もATS-DNに更新されています。

110km/hを出せる足回りは、駅間が長く線形の良い室蘭本線と相性が良く、都市近郊の通勤形として設計された車両が、こんどは長距離区間で持ち味を発揮しました。札幌への送り込みを兼ねて千歳線に顔を出すこともあり、札幌駅で見かける機会も残っていました。

とはいえ、車体はすでに経年30年超。塩害や凍結の厳しい北海道で、客車由来の鋼製車体を維持し続けるのは簡単ではありません。置き換えは時間の問題でした。

737系にバトンを渡した2023年5月19日

2023年5月19日、キハ143形は室蘭本線の運用を終えました。翌20日から、JR北海道初のワンマン運転対応電車である737系が営業運転を開始しています。737系は2両編成で、13編成26両が投入されました。

置き換えの背景には、単なる老朽化だけでなく「気動車から電車へ」という転換があります。室蘭本線の室蘭〜苫小牧間はすでに電化されていたため、わざわざディーゼルカーを走らせる必要がなくなっていたのです。燃料費と整備コストの両方が下がる、合理的な判断でした。

⚠️ よくある失敗:「室蘭本線に乗りに行けば会える」と思って空振り

キハ141系の情報はネット上に大量に残っているため、いまも室蘭本線で走っていると思い込んで現地へ行ってしまうケースがあります。定期運用が終わったのは2023年5月19日で、翌日から737系に交代済みです。原因は「引退年が明記されていない古い記事を読んでしまう」こと。対策はシンプルで、キハ141系の話題を読むときは必ず記事の公開日と、2023年5月19日という区切りを頭に置いておくことです。

北海道の在来線でいま主力になっている車両を押さえておくと、こうした空振りを避けやすくなります。特急型の代表格については、こちらで詳しく整理しています。

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岩手でよみがえった4両——「SL銀河」という第三の人生

SLが牽く列車なのに、客車が自分で走っていた

JR東日本へ渡った4両は、釜石線の観光列車「SL銀河」の旅客車になりました。ここで面白いのが、SLに牽かれる客車なのに、エンジンを残したままだったことです。

理由は釜石線の勾配にあります。花巻〜釜石間90.2kmの途中には急勾配区間があり、C58形蒸気機関車239号機の単機では4両を引き上げるのが難しいと判断されました。そこで旅客車側の動力装置を残し、必要なときにエンジンをかけて自分で押す方式にしたのです。

これにより、補助機関車を付けずに運行できるようになりました。「SLが引いているように見えて、実は後ろも走っている」という、日本でほかに例のない構成です。キハ141系が選ばれたのは、まさにこの自走能力があったからでした。

4両それぞれの中身:プラネタリウムまで積んでいた

編成は花巻方から順に、1号車キハ142-701(種車オハフ51 30)、2号車キサハ144-702(種車オハフ51 10)、3号車キサハ144-701(種車オハフ51 7)、4号車キハ143-701(種車オハフ51 27)の4両です。

各号車の中身は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をテーマに作り込まれていました。1号車には小型のプラネタリウム「天体ルーム」、2号車には『銀河鉄道の夜』関連のギャラリーとトイレ、3号車にはイーハトーブと宮沢賢治に関するギャラリー、4号車にはオープンスペース、バリアフリートイレ、売店、ラウンジが設けられています。

通勤形として札幌のラッシュをさばいていた車両が、20年後には天体投影機を積んでいる——この振れ幅こそ、キハ141系の物語のハイライトです。

🚆 SL銀河 号車ガイド

1号車 キハ142-701 指定席/小型プラネタリウム「天体ルーム」

2号車 キサハ144-702 指定席/トイレ/『銀河鉄道の夜』関連ギャラリー

3号車 キサハ144-701 指定席/イーハトーブ・宮沢賢治関連ギャラリー

4号車 キハ143-701 指定席/オープンスペース/バリアフリートイレ/売店/ラウンジ

2014年4月12日から2023年6月11日までの9年間

SL銀河の運行期間は、2014年4月12日から2023年6月11日までのおよそ9年間でした。運行区間は花巻駅〜釜石駅の90.2km。東日本大震災からの復興支援と地域振興を目的に企画された列車です。

運行終了の理由は、牽引するC58形ではなく旅客車キハ141系の老朽化でした。車体は1970年代後半の50系客車のままなので、2023年時点で経年45年前後。ここが限界と判断されたわけです。4両は2023年6月20日付で除籍されました。

逆に言えば、SL側にはまだ余力がありました。主役ではなく脇役の寿命で列車が終わるのは珍しく、キハ141系の存在がSL銀河という企画そのものを支えていたことがよくわかります。

後を継いだのは「ひなび(陽旅)」

SL銀河の後継に位置づけられたのが、HB-E300系を使う臨時快速「ひなび釜石」です。「ひなび(陽旅)」は2023年12月23日に営業運転を開始し、同年12月30日から2024年2月25日にかけて盛岡〜花巻〜遠野〜釜石間で運転されました。

車両は、2023年10月に運行を終えた「リゾートあすなろ」を改装したもの。大きな窓から車窓を楽しめる設計で、SLではなくハイブリッド気動車になった点が大きな違いです。蒸気機関車の迫力は失われましたが、そのぶん運行の自由度と定時性は上がりました。

釜石線でSLの汽笛を聞くことはできなくなりましたが、観光列車という枠組み自体は引き継がれています。キハ141系が9年かけて育てた需要が、次の車両にバトンタッチされたと考えるとわかりやすいでしょう。

ミャンマーへ渡った22両と、静かに消えた車両たち

2012年、22両が海を越えた

札沼線の電化で余剰となった車両のうち、22両がミャンマー国鉄へ譲渡されました。手続きは2012年6月から12月にかけて進み、2014年にも車籍抹消と譲渡が続いています。2014年11月14日付でキハ141-2、キハ141-3、キハ142-2、キハ142-3、同22日付でキハ141-4から141-6とキハ142-4、12月5日付でキハ141-13とキハ142-13が除籍されました。

ミャンマーは2010年代、日本の中古鉄道車両の受け入れ先として知られていました。気候は北海道と正反対ですが、鋼製車体で構造が単純な車両は現地でも扱いやすく、キハ141系はその条件に合っていたのです。

44両のうち半数がこのルートをたどったことになります。廃車解体ではなく現役続行という形で第二の人生を得た点は、種車の50系客車から数えて2回目の「拾われ方」と言えます。

改軌とステップ増設だけで走り出した

興味深いのは、現地での改造が小規模だったことです。実施されたのは、軌間を合わせる改軌、屋根上の通風器・無線アンテナ・ホイッスルカバーの撤去、そして客用扉部へのステップと手すりの増設。おおむねこの程度で、車内設備はほぼ従来のまま使われました。

ミャンマーの鉄道はホームが低い駅が多いため、ステップの追加は必須でした。逆に言えば、それ以外はほとんど手を入れずに済んだということで、日本の通勤形の内装がそのまま現地の長距離列車で使われたことになります。

2013年8月16日には、現地での営業列車への充当が確認されています。北海道で引退した年の翌年には、もう別の国で乗客を運んでいたわけです。

ネーピードー〜ピィ間、約11時間の長距離運用

現地での主な運用区間は、首都ネーピードーと古都ピィを結ぶ路線でした。所要時間はおよそ11時間の昼行列車で、札幌近郊の通勤輸送とはまるで違う使われ方です。

札沼線での乗車時間はせいぜい1時間前後でしたから、単純に11倍の長丁場。転換クロスシートでもリクライニングシートでもない通勤形の座席で11時間というのは、日本の感覚だとなかなかの体験になります。

とはいえ、これは車両の素性がしっかりしていた証拠でもあります。もともと客車として設計された車体は静粛性が高く、床も厚い。長時間乗るという用途に、意外と適性があったのかもしれません。

「いま会いに行けるか」は要注意

ここで注意したいのが、現存車の扱いです。キハ141系は44両つくられましたが、その多くはすでに解体または海外譲渡済みで、日本国内で自由に見学できる保存車が各地にそろっているわけではありません。

いま日本に残っているまとまった車両は、観光列車へ改造中のキハ143形です。改造は工場内で進められているため、一般の見学対象ではありません。「保存車を見に行こう」と考えるより、「2027年のデビューを待つ」のが現実的な選択になります。

⚠️ よくある失敗:保存車を探して現地まで行ってしまう
「引退した車両はどこかに保存されているはず」と考えて、道内の鉄道公園や車両基地を巡ってしまうパターンです。原因は、有名形式なら保存されるという思い込み。キハ141系は改造車という性格上、車籍抹消後すぐに解体・譲渡されたケースが大半です。対策は、訪問前に施設の公式サイトで保存車両リストを確認すること。掲載がなければ、その場所にはありません。

キハ141系の最後の舞台は観光列車「赤い星」「青い星」

種車はキハ143形、赤と青の2編成

2024年4月、JR北海道は残っていたキハ143形を観光列車に改造すると発表しました。それが「スタートレイン計画」で、生まれるのは「赤い星」と「青い星」の2編成。どちらも4両編成で、デザインはドーンデザイン研究所の水戸岡鋭治が手がけます。

「赤い星」の外装は、北海道開拓使のシンボルである赤星をイメージした深みのある赤。1号車はボックスシートとサロン、2号車はフリースペースのラウンジカー、3号車はセミコンパートメント(半個室)とボックス席、4号車は床が畳敷きで、車端部に車両全幅を使った個室と茶室が設けられます。全車グリーン車指定席です。

「青い星」の外装は、富良野線沿線のラベンダーと青い池をイメージした青。内装は木材を使った腰掛とテーブルの4人掛けボックス席で、各号車に大きな窓から風景を楽しめる展望室が置かれます。同じキハ143形が種車でも、性格をはっきり分けているのがポイントです。

🔵 青い星

2027年6月に富良野線 旭川・美瑛〜富良野間からスタート。旭川〜富良野間は「青い星 丘のいろどり 1〜4号」、網走〜知床斜里間は「青い星 流氷物語 1〜4号」で、いずれも1日2往復。富良野線は6月〜9月、釧網線は1月〜3月の運行です。

🟠 赤い星

2027年2月に函館線・石北線 札幌〜網走間からスタート。札幌発は「赤い星 オホーツクの風」、網走発は「赤い星 雪華の風」。4月〜7月は釧網線の釧路〜知床斜里間へ移り、釧路発は「赤い星 湿原のいぶき」、知床斜里発は「赤い星 山麓のめぶき」になります。

デビューが1年ずれた理由は「想定以上の腐食」

この計画、当初は2026年度の運行開始予定でした。しかし2025年3月19日、JR北海道は運行開始時期の変更を発表します。理由は車体の状態でした。

公式資料によれば、車体は経年40年を超えており、通常の定期検査では取り外さない内装材の内側を確認したところ、想定以上の腐食と歪みが見つかったとのこと。外板の穴あきや窓枠の腐食といった具体的な状況も公表されています。「豪華」で「上質」な観光列車として提供するため、通常の修繕より手をかけて仕上げる判断がなされました。

その結果、2025年8月4日に新しい運行開始時期が決まります。「赤い星」が2027年2月、「青い星」が2027年6月。客車として1970年代に生まれた車体を、50年近く経ってから作り直しているわけですから、時間がかかるのも当然と言えます。

詳しい経緯はJR北海道が公表した運行開始時期の変更に関するリリースで確認できます。腐食した外板の写真まで載っており、改造の難しさが伝わってきます。

札幌〜網走の時刻と料金は、もう公表されている

2026年6月23日、JR北海道は「赤い星」札幌〜網走間の運行計画と販売予定価格を発表しました。運転開始は2027年2月3日です。

時刻は、札幌発の「赤い星 オホーツクの風」が札幌9:07頃発、旭川・愛別・遠軽・北見・女満別に停車して網走15:59頃着。折り返しの「赤い星 雪華の風」は翌日網走10:00頃発、美幌・北見・遠軽・上川・当麻・旭川を経て札幌17:22頃着です。片道7時間前後をかけて北海道を横断する、堂々たるロングランになります。

運転日は、「オホーツクの風」が主に毎週月・水・土曜、「雪華の風」が主に毎週火・木・日曜。往路と復路が別の日に設定されているので、途中で1泊する前提の行程です。

プラン・席種 販売予定価格(片道・おとな1人) 販売開始
ランチプラン ボックス席・セミコンパートメント 39,000円 2026年11月上旬
ランチプラン 5人用・6人用個室(定員利用) 50,000円 2026年11月上旬
ランチプラン 2人用個室(定員利用) 100,000円 2026年11月上旬
ご乗車のみ 23,340円 2027年1月上旬

個室は部屋単位での販売なので、人数によって1人あたりの負担が変わります。6人用個室を6人で使うと一室総額300,000円で1人50,000円、5人で使うと一室総額268,000円で1人53,600円。5人用個室は5人利用で一室総額250,000円、4人利用なら一室総額218,000円で1人54,500円です。2人用個室は2人利用で一室総額200,000円、1人利用でも一室総額154,000円で確保できます。

「ご乗車のみ」プランは各運行日の1カ月前から販売され、乗車区間によって価格が変わります。ランチは往路が花月会館(旭川市)料理長の山下王信、復路が寿司割烹 粋里(北見市)店主の遠藤均が担当します。最新情報はJR北海道のスタートレイン公式ページで確認できます。

💡 タイプ別の選び方

車両そのものを味わいたい人:ボックス席かセミコンパートメント。1・3号車で車内を歩き回りやすく、2号車のラウンジも使えます。
家族・グループ旅行:4号車の5人用・6人用個室。人数が多いほど1人あたりの負担が下がる料金設計です。
移動そのものを目的にしたい人:ご乗車のみプラン。7時間の横断をいちばん手が届く形で体験できます。
絶景重視で気軽に:2027年6月からの「青い星」。富良野線と釧網線で1日2往復の設定です。

1編成を丸ごと使う豪華列車の料金感覚は、九州の先行例と比べると位置づけがつかみやすくなります。

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ノロッコ号の引退が1年延びたのも、同じ理由

「赤い星」「青い星」の延期は、別の列車にも影響しました。ノロッコ号です。くしろ湿原ノロッコ号は1989年、富良野・美瑛ノロッコ号は1998年に運転を開始した観光列車で、現行の展望客車は釧路が1998年、富良野・美瑛が1999年から使われています。

当初は2025年度で運行終了の予定でしたが、後継となる「赤い星」「青い星」のデビューがずれたため、必要な措置を施したうえで2026年度に限り運行を継続することになりました。牽引する機関車は経年45年以上、客車は経年40年以上で、使用部品の生産中止が相次いでいるため、2026年度をもって運行を終了します。

2026年のくしろ湿原ノロッコ号は、4月25日から10月4日までの計141日間、釧路駅〜塘路駅間で運行されました。つまりキハ141系由来の観光列車が走り出すまでの「つなぎ」を、40年選手の客車が務めたことになります。北海道の観光列車は、いま世代交代の真っただ中にあるわけです。

まとめ:客車から生まれた気動車が残したもの

🚃 この記事の結論

キハ141系は50系客車を改造した44両の気動車で、定期運用は2023年に終わりました。残るキハ143形は2027年に観光列車として復活します。

✅ 要点チェック
  • 出自:オハフ51形を改造した44両
  • 4形式:違いはエンジンの数と出力
  • 本命:キハ143形は450PS・110km/h
  • 引退:定期運用は2023年5月19日まで
  • 復活:赤い星は2027年2月3日から

キハ141系がたどった道のりは、車両1つの一生というより、日本の鉄道が抱えてきた事情の縮図です。余った客車を捨てずに使う工夫から始まり、通勤輸送を22年支え、電化で役目を終えたあとは海を渡り、SLの相棒になり、そして最後に観光列車として第四の人生に入ろうとしています。次の一歩としておすすめなのは、JR北海道のスタートレイン公式ページをブックマークして、「赤い星」の乗車のみプランが2027年1月上旬に発売されるタイミングを逃さないことです。札幌〜網走の7時間は、この車両の来歴を知ってから乗ると、まったく違う景色に見えるはずです。

※運行計画・価格は2026年6月時点でJR北海道が公表した内容です。今後変更となる場合があるため、最新情報は公式サイトでご確認ください。

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この記事を書いた人

新幹線の窓側席と駅弁をこよなく愛する鉄道ファン。乗り換え案内や座席選びのコツ、お得なきっぷ情報など、鉄道旅をもっと快適にするための実用的な情報を中心に発信しています。交通手段の比較や空港アクセスガイドも得意分野です。

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